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○ 小野市・加西市・北条町 ○ |
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浄土寺 ![]() |
大学を出て神戸に帰った後、早稲田大学交響楽団のチェロの後輩が神戸に遊びに来て、「三木さん、小野の浄土寺を見たいので一緒に行きませんか」と誘われました。彼は理工学部の建築科に在学していて、浄土寺が屈指の建築物で国宝に指定されているとのことでした。浄土寺はゆったりとした佇(たたず)まいの優美なお寺でした。散歩を始めて、太山寺を訪れた時、国宝に指定された建築物は、やはり別格だと思い、浄土寺を、もう一度、訪れてみようと思ったのです。 真夏の暑い日でした。西脇のギャラリーで藍染の染織家の個展があり、その帰りに浄土寺を訪れました。丁度、午後5時頃でした。国宝に指定された浄土堂の拝観時間は午後5時で、もう閉館時間を過ぎていたのですが、受付におられた女性の方が、「良かったら、どうぞ」と堂内に案内して下さったのです。そして、さらに、浄土堂と、やはり国宝に指定されている本尊の阿弥陀三尊立像について丁寧に説明して下さったのです。「浄土堂は、ご覧のように照明設備はないのですが、夕陽が差し込むと、その光が堂内の床に反射して、ご本尊が黄金に輝くのです」と仰られた、まさにその時、夕陽が燦然と射しこみ、堂内に光が満ち溢れ、阿弥陀三蔵立像が光輝を放ったのです。生涯、たった一度の体験でした。 |
ひまわりの丘公園 ![]() |
国道175号は、三木市、小野市、加西市、加東市、西脇市、多可町など北へ遠出する時、しばし通る幹線道路です。その道路沿いに小野市の、ひまわりの丘公園があって、いつもは横目で見ながら通り過ぎるのですが、「ヒマワリが咲いている」と家内が言うので、「じゃあ、来週、行こう」と決めました。 初めて立ち寄ってみると、駐車場のすぐ横、元々は田圃(たんぼ)だった辺り一面にヒマワリが咲いていました。ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演の映画「ひまわり」。涙茫茫の名画でした。 |
フラワーセンター ![]() |
私が車で遠出をするのは、ほぼ兵庫県内だけなのですが、自宅が神戸市須磨区の海岸近くなので、国道175号と播但ハイウェーで北へ走ることが多くて、加西市にある兵庫県立フラワーセンターは、国道175号と播但ハイウェーの丁度、真ん中辺りにあるので、国道175号の加東市から西に向かうか、播但ハイウェーの福崎インターから東に向かうか、で行くことになります。どちらにしても一般道を走りますから時間が掛かるのですが、それでも行きたくなるのです。 フラワーセンターは、その名の通り、四季折々の花が一杯の公園です。歴代の兵庫県知事は、兵庫県が瀬戸内海と日本海に面していて、それぞれの地域が全く異なった気候風土、歴史を持っていることを大事にされてきました。とりわけ井戸敏三氏は、兵庫県知事在任中、兵庫五国を標榜され、摂津、播磨、淡路、丹波、但馬という五つの国が、それぞれの個性を活かした国造りを進められました。フラワーセンターは、金井元彦氏が兵庫県知事在任中に、加西市の必ずしも繁華ではないこの地に一大花壇を創設されたことに深い感銘を受けるのです。 |
羅漢寺 ![]() |
五百羅漢という言葉を、いつとなく、誰からとなく聞いて、いつか見に行きたいと思っていました。五百羅漢が、北条町の羅漢寺に置かれた石仏だと知って、行ってみたのです。私は、鉄っちゃんではまるでないのですが、鉄道ファンには北条鉄道は人気だそうで、その始発駅がある街です。北条駅から車で数分の所に羅漢寺はありました。羅漢寺は北条町の観光スポットなので、駐車場が完備されていました。 決して大きくもなく、大層でもないお寺ですが、落ち着いた佇(たたず)まいで、奥に沢山の石仏が並べてありました。その一つ、一つが、得も言えぬ表情を湛(たた)えていて、なぜか理由(わけ)もなく心が和(なご)むのです。普段の暮らしにはない時間が流れるのです。もう何度も通ったのですが、また行きたくなるのです。 |
一乗寺 ![]() |
一乗寺は、加西市にある古刹です。一乗寺に行こうと思ったのは、一乗寺の三重塔が国宝だからでした。神戸市にある太山寺の、国宝に指定された本堂の威容に感銘を受けてから、兵庫県下の国宝に指定された建築物を是非、見たいものだと心に決めて、加古川市の鶴林寺、小野市の浄土寺と見てきて、次はと、加西市の一乗寺に行ったのです。 一乗寺は、人里離れた山中にありました。しかし規模の壮大さは驚くばかりでした。今でも周りは山また山なのに、創建当時は猶更だったでしょうに、このように壮大な伽藍を建立した人々の想いの深さ、熱さに、心打たれます。私自身、仏教に理解も、関心も深くありません。しかし、ある時代までの日本人は、深く仏教に帰依していたのです。多くの日本人が、今、仏教との繋(つな)がりを求めなくなったことが、はたして是か、非か。何に、心の拠りどころ、支えを求めようとしているのか。国宝建築物を巡ることの中で、私は自問自答するのです。 |
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