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○ 神戸市西区・北区 ○ |
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神戸ワイナリー ![]() |
50年前、私が呉服屋になった頃、呉服の商売は外商が中心でした。私も毎日、風呂敷に商品を包んでお客様のお宅を訪問させて頂いていたのですが、30年以上も前だったか、いつもどおり車でお客様のお宅を回りながら押部谷の辺りを走っていて農業公園の案内板が目に入りました。当時、農業公園が出来たという話は耳にしていたので、どんな所なのだろうと興味を持って中に入ったのです。その頃、農業公園はワイン城と呼ばれていて、まるで南仏の葡萄畑の中にそびえるお城のようで、ここが日本の、神戸なのか、と感動しました。後日、あらためて家内や子供と一緒に遊びに行って、車で来たから駄目だけど、いつかもう一度、バスかなにかに乗って再訪して、レストランで神戸ワインを飲みながら神戸ビーフを食べたい、と思ったのですが、叶わぬ夢でした。 あれから30年以上が経って、夢よ、もう一度ではないですが、久し振りで散歩を楽しむために神戸ワイナリーを訪れました。駐車場に車を停めて神戸ワイナリーの建物を見上げて、そうだ、ここだったのだ、と感慨ひとしおでした。広い敷地に植えられた葡萄の木は、ちょうど葡萄の房が垂れ下がっていて、実りの秋がすぐそこだと感じたのです。 神戸ワイナリーの北入口には、新谷e紀先生の「豊穣」と題された彫像が置かれていて、まさに「豊かな穣(みのり)」そのままの作品です。私は、ある時期、神戸市の政策提言会議のメンバーに入れて頂いていたのですが、新谷e紀先生もご参加されていて、会議の中で「ここは日本ですよ。この趣意書に、なんでこんなに横文字が使われているのですか」と一喝されたことは忘れられません。新谷e紀先生とは政策提言会議の文化の分科会でもご一緒させていただいて、私が「ミロのビーナスを満員の美術館で見るよりも、街中のお洒落なポスターのデザインを見る方が良いと思います」と申し上げてキツクお叱りを受けました。私が最後に参加した政策提言会議が終わった後、エレベーターに同乗させていただいたのが新谷e紀先生のお姿を拝見する最後になりました。 |
しあわせの村 ![]() |
三木家代々の墓は神戸市立鵯越墓園の中にあります。年4回、1月、3月、8月、9月に墓参するのですが、帰路、鵯越墓園の北門から出ると、信号機のある交差点の真正面が神戸しあわせの村の入り口なので、午前中、お墓参りを済ませた後、しあわせの村でランチを食べて、園内を散策してから帰ることにしています。 しあわせの村は広大な敷地の中に多種多様な施設があって、いつ行っても駐車場はほぼ満車状態です。子供たちが小さかった頃、夏はプールに泳ぎにいきました。娘が中学校で卓球部にいた頃は卓球場で一緒にプレーしました。孫が生まれてからはトリム園地で遊ばせました。今は夫婦で園内の日本庭園を散策しています。 しあわせの村の人気施設はジャングル温泉ですが、何もわざわざお風呂に入りに行かなくても、と一度も入ったことが無かったのが、阪神淡路大震災の後、被災者にジャングル温泉を無料開放したのです。自宅が全壊で風呂も使えなくなったので家族みんなでジャングル温泉に入りに行きました。本当に久しぶりでお風呂に入れて、身も心も心底いやされました。 |
あいな里山公園 ![]() |
あいな里山公園の正式名称は、明石海峡国営公園 神戸地区あいな里山公園、なのです。国立公園ですが管理は神戸市が担当されています。あいな里山公園は、しあわせの村に隣接していて、しあわせの村から車で入っていくのです。ものすごく遠大な計画で造成されていて、まだ30パーセントほどしか完成していませんが、それでも充分ぐらいの広さがあります。もともとは藍那という地域で、棚田の中に茅葺屋根の民家が点在していて、そのまま公園に保存されています。神戸は市内に意外にも農村地域が広がっているのです。初めて夫婦で、あいな里山公園を訪れた時、田んぼや畑やため池があって、心の中の原風景に思えたのですが、家内が「天空の城ラピュタの科白だったか、人は土から離れては生きていけない、ということなのね」とつぶやきました。 |
再度公園 ![]() |
私は兵庫県立神戸高校に在学していました。遠足で再度公園に行ったことがあったのですが、もしかしたら学校から歩いて行ったのかもしれません。充分、歩いて行ける所なので、わざわざバスに乗っていく場所ではなさそうです。 神戸高校は文武両道で、部活が盛んでした。恒例行事も文武両道でした。神戸高校の修学旅行は九州だったのですが、神戸港を夜、出航して、翌朝、安芸の宮島で下船して、即、宮島の弥山(みせん)の山頂を目指してマラソン競争をするのですが、卓球部の先輩から、「最後まで走れたら優勝できる」と聞いていたので、必死で頑張ったのですが、なにせ標高535メートルの山の頂上まで走り切るのはとうてい無理で、途中歩いたり走ったりして登ったら、16位入賞でした。賞品に宮島名物の特大しゃもじを頂きました。その特大しゃもじは、母が喜んで長い間、仏壇にお供えしていました。私の数少ない高校時代の自慢話です。 毎年、冬は寒中マラソンで、六甲山の山頂から摩耶山の山頂まで走るのです。六甲山の山頂まではケーブルカーだったのか、記憶が定かではありませんが、マラソンで摩耶山の山頂まで走った後は、歩いて学校まで下山するのです。そんな学校でしたから、再度公園まではきっと歩いて行ったことでしょう。 |
森林植物園 ![]() |
森林植物園は、その名のとおり、森林が植物園になっています。私の記憶では、最初に森林植物園に行ったのは高校の遠足でした。二度目は娘と息子が生まれて、連れ立って行きました。冬の初めだったか、ちょこちょこ前を歩いていた息子の姿が突然消えて、落ち葉に埋もれた道端の溝に落ちたのです。三度目は、公園を管理する神戸市公園緑化協会の方からご相談があって、名誉園長の真野響子さんから、夏のイベントで浴衣のファッションショーをやりませんか、という提案を頂いて、どうしたらよいのか分からないので、呉服屋の三木さんに相談しようと考えた、とのことでした。私は浴衣で集う園遊会だったらできるのではないでしょうか、とお答えして、園遊会が開かれることになり、その出し物の一つに、真野響子さんと私のトークショーをやることになったのです。 当日、森林植物園に出向いて、会議室で真野響子さんとお話をすると、とても気さくで気っぷの良い方で、「あなた、呉服屋さんなのに、なんで楽譜柄の浴衣をきているの?」と聞かれて、「音楽が好きなので、音楽をモチーフにしたオリジナルの着物を作っているのです」とお答えしました。それが機縁で、その後、何度も森林植物園に散歩に出向いたのですが、真野響子さんのアドバイスで、みるみる森林植物園が人気スポットになって、とりわけ春の紫陽花、秋の紅葉のシーズンは来園者でいっぱいなのです。 |
太山寺 ![]() |
なぜか子供の頃、太山寺というお寺の名前を耳にすることがあって、どんなお寺なのだろうと子供心に思ったことがあったのですが、結婚して子供が生まれた頃、太山寺の近くの天然ラジウム温泉が話題になっていて、母も一緒に家族みんなで行きました。その頃、商売が大変だったので、骨休めに良いと思ったのです。太山寺は天然ラジウム温泉なでしこの湯の奥にあるのですが、その時は、お風呂に入っただけで帰りました。 散歩を始めて、近場で良い所がないかと考えて、そうだ太山寺に行ってみようと思って調べてみると、大層、立派なお寺でした。本堂は、神戸市で唯一の国宝の建築物で、仁王門は重要文化財、三重塔は県指定文化財なのです。道路沿いに立っている仁王門から境内に入り、長い参道を歩いて、その先の階段を登ると中門で、本堂が一挙に目に入ってきます。伸びやかな威容は解放感に溢れていて大陸的なおおらかさがあります。国宝の建築物は別格だ、と強い印象を受けて、兵庫県内で国宝に指定された他の建築物、加古川の鶴林寺、加西の一乗寺、小野の浄土寺、加東の朝光寺を巡るきっかけになりました。 |
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