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○ 神戸市須磨区・垂水区 ○ |
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須磨離宮公園 ![]() |
須磨離宮公園は私にとって最も近場の公園で徒歩10分ほどです。最寄りの駅の山陽電鉄「月見山」から須磨離宮公園までの道は「バラの小径」と名付けられていて、バラの絵柄の陶板が埋め込まれていて両側の家にバラの植木鉢が置かれています。自宅はその道沿いなのです。 もう70年近く前になりますが、私が入学した神戸市立西須摩小学校は全校生徒が1800人ほどだったので3年生の時に分校ができて、私は分校に通うようになりました。5年生になった時、北須磨小学校として独立することになり、私は神戸市立北須磨小学校の2回生になりました。その北須磨小学校の道路を挟んだ向かい側が現在の須磨離宮公園です。元々は西本願寺の別邸だったのを武庫離宮として改築されたのですが、戦後、占領軍が接収し、演習場になっていました。その後、神戸市が管理することになり、当時は建物も何もない唯の広場で、子供の頃の遊び場でした。出来たばっかりの北須磨小学校は円形校舎が珍しかったのですが運動場がなくて、運動会はその広場で開かれました。 須磨離宮公園として開園された後、今から50年程前には園内で隔年、現代日本彫刻展が開催されて見応えがありましたが、子供が生まれてからは一緒にアスレチックを楽しんだりしました。還暦を過ぎた頃から休日散歩を始めて、月に一度は足を運んでいますが、春夏秋冬、四季折々に詩情がってあって飽きることがありません。とりわけ春秋のバラ、秋の紅葉は圧巻です。散歩の後、レストランで昼のランチを食べるのも楽しみの一つです。 |
奥須磨公園 ![]() |
奥須磨公園は「多井畑の厄神さん」として親しまれている多井畑厄除八幡宮に隣接した公園です。私の自宅は神戸市須磨区離宮前町で、西に歩いていくと離宮道というJRの線路から北へ、須磨離宮公園まで真っ直ぐの坂道があり、両側には大きな盆栽のような松が植え込まれていて、離宮公園の入り口から更に北に行くと多井畑厄除天満宮にたどり着くのです。今は、車が行き交う広い道ですが、私が子供の頃は田舎道で坂を登りきったところにトンネルがあって、トンネルを抜けると街中とはまるで違う風景が広がっていました。道沿いに大きな池が幾つかあって、その一つの池は釣り堀で魚を釣りに行きました。今、そのあたりが奥須磨公園になっていて、広い園内には小松池、広池、皿池、大池など大小六つの池があり、小松池は唯一、釣りが楽しめる池で、おそらく私が子供の頃に釣り堀をしたのはこの池だったのでしょう。 奥須磨公園も自宅から車で10分の近場なので子供が生まれてから、家族みんなで遊びに行きました。30代の後半、奥須磨公園の道路を挟んだ向かい側のテニススクールに通っていたこともあって、テニスで汗をかいた後、クラブハウスのレストランでランチを食べて公園を散歩しました。還暦を過ぎて休日ごとに散歩するようになってからは、散歩の定番コースになりました。 散歩を始めて1年後、いつものように奥須磨公園の小松池に行くと、超望遠レンズを装着したカメラを三脚に立てた人が数名、池の周りに並んでいたのです。一瞬、何事かと思ったのですが近寄れないような雰囲気なのでジッと見ていると、「今日は、もう来ないな」と一人がつぶやくと、みんな一斉にカメラを片付けかけたのです。「アッ!来た」と一人がつぶやくと、みんな一斉にカメラを構えたのです。すると、真っ青な鳥が、池に突き出した枝に止まった、カワセミ(翡翠)との出会いでした。私が野鳥撮影にハマったきっかけでした。野鳥との出会いは一期一会、奥須磨公園でも奇跡的な出会いが幾度かありました。 |
神戸総合運動公園 ![]() |
バブル経済が崩壊する直前、高度成長の真っ只中で商店街も繁栄を謳歌していた頃、弊店が店舗を構える元町1番街商店街振興組合では、秋10月に神戸総合運動公園のユニバー記念競技場を借り切って運動会を開催していました。元町1番街は元町1丁目と2丁目で構成されているので、元町1丁目、2丁目のそれぞれ山側、海側の4チームに分かれて対抗戦をしたのです。お店のご主人、奥さん、社員さんが一緒になって、大玉転がしやリレー競走、マラソンで飛んだり、跳ねたり、走ったりで、その成績が競技場の電光掲示板に表示され、最後の表彰式では豪華賞品が授与されました。 散歩を始めて、総合運動公園を歩いてみようと思って、駐車場に車を停めて、横手にユニバー記念競技場を見ながらコスモスの丘へ登って行ったのですが、この競技場で元町1番街商店街は運動会を開催していたのだ、まるで夢のような時代だった、と想いに耽(ふけ)りました。ユニバー競技場で運動会が開催されたのは4回だったか5回だったか、間違いなく商店街の絶頂期でした。もう二度と来ないであろう夢のような時代でした。 |
平磯緑地 ![]() |
平磯緑地はJR・山陽塩屋駅とJR・山陽垂水駅との間に広がる海岸沿いの緑地公園です。東の端に駐車場があって、そこから垂水まで遊歩道があり、散歩やジョギングを楽しむ人が沢山いらっしゃいます。駐車場に車を停めて遊歩道に入ると両側に万葉集の歌を刻んだ石碑が次から次に立っています。私は高校生の時、斎藤茂吉の「万葉秀歌」を読んで万葉集の歌を幾つも愛誦するようになりました。なかでも「石走る(いわばしる) 垂水(たるみ)の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」という志貴皇子の歌が大好きで、私と家内との間に初めて生まれた娘の名前に「萌え出づる春」から詞を頂いて「萌」と名付けました。ちなみに、息子の名前は「いにしえに 恋うる鳥かも 弓弦葉(ゆづるは)の 御井(みい)の上より なきわたりゆく」という弓削皇子の歌の「弓弦葉」から詞を頂いて「弦(ゆづる)」と名付けました。平磯緑地公園の万葉の歌碑は、垂水や明石にゆかりの歌が多いのですが、志貴皇子の歌詞の「たるみ」は「垂水」ではないかと言われていて、万葉の歌碑の中にも刻まれているのですが、ナント、この歌を書にされたのは元神戸市長の笹山幸俊さんなのです。素晴らしい達筆です。 平磯緑地の遊歩道は、海岸と国道二号線の間を東西に延びていて、黒松をはじめ巨木が両側を覆っています。とりわけ、ソメイヨシノとオオシマザクラが間を置かず植えられていて、春4月の初めは、薄ピンクのソメイヨシノと白色のオオシマザクラの共艶を堪能できるのです。 |
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