2026年2月20日


  元町150年 第一稿

「変わるもの」と「変わらないもの」

 今、私の手の中に一冊の本があります。1974年、私が家業である呉服屋になって神戸元町商店街で商売に従事するようになった翌年に発行された「こうべ元町100年」という記念誌です。巻頭には「元町通り百年頌」と題された竹中郁氏の「詩」と小磯良平氏の「絵」。そして当時の兵庫県知事坂井時忠氏の「世界のモトマチ」、神戸市長宮崎辰雄氏の「神戸っ子のふるさと」という一文が載せられています。あの時から50年の歳月が流れ、私自身、その50年の間、奇しくも元町商店街で商売に携わってきました。「光陰矢の如し」、あっという間の50年だったという気もしますが、振り返ると多事多難で、かろうじてここまで店をつぶさないで商売を続けることができたのはお客様、取引先、元町商店街の皆様のご支援の賜と心より感謝を申し上げます。
 「こうべ元町100年」の記念誌の「店舗の変遷」というページには1974年当時の店舗に加えて同じ場所の、それ以前の店舗が記載されているのですが、その時点で、306店舗あったなかで現在も営業を継続されているのは54店舗です。この50年間で252店舗が入れ替わりました。営業を終了された理由は個々それぞれでしょうが商売の厳しさが如実に示されていると言えるのではないでしょうか。
 商売は需要と供給が合致してはじめて成り立ちます。商売が続けられなくなるのは需要と供給が一致しなくなったからなのでしょうが、その原因の大半は時代の変化、需要と供給が変化し、その変化に対応できなかったからだと考えます。私が従事する呉服業も50年の間に激変しました。商品も商法も激変しました。弊店が細々ながら今日まで商売を続けられたのは紆余曲折、曲がりなりにも変化に対応してきたらではないかと思うのです。
 時代は変化する。しかし変化し続けながら、いつの時代にも「変わるもの」と「変わらないもの」があります。激変する時代の中にあって大切なのは、「変わるもの」は変えねばならい、「変わらないもの」は変えてはならい。商売人として大事なことは、「変わるもの」を変えようと努力することと同時に「変わらないもの」を変えないように保持すること、その両方の視点と姿勢が必要不可欠だと思うのです。商品、商法は変えねばならない。しかし商売の基本は変えてはならない。商売の基本中の基本、「信用」を失ってはならないのです。

2026年2月10日


  元町150年

 今から2年前、2024年に神戸元町商店街は生誕150年を迎えました。明治7年5月20日に当時の兵庫県令(県知事)神田孝平が西国街道沿いのこの地を元町通と称する通達を発したのがその由来です。神戸元町商店街では前後3年間「元町150年記念事業」を実施してきたのですが、最後の締め括りとして記念誌を刊行することとなり、私に寄稿の依頼がありました。光栄この上なくお引き受けして原稿を書いたのですが担当の委員の方から内容について要望をいただき都合三度書き直しました。最後に、それぞれの原稿を一つにまとめて最終原稿を書き上げました。「元町150年記念誌」への寄稿なので本来なら祝辞的言辞で書くべきだったのでしょうが、とても私には祝い事を寿ぐ言葉を書く気になれなかったのです。
 今、日本中の商店街は苦境の真っ只中に在ります。シャッター街と化して存続の危機にあるのです。かろうじて神戸元町商店街は好立地であるがゆえに外見上は従来の相貌を失ってはいませんが内実は激変してしまったのです。私は1973年に「丸太や」に入社以来、今日まで神戸元町商店街で呉服業に従事してきましたが、この間、弊店を取り巻く状況は悪化の一途をたどってきました。バブル経済崩壊後、規制緩和の名のもとに施行された大店法の改悪は零細小売業者に痛撃となりました。大型スーパーの価格破壊、コンビニの年中無休24時間営業、さらにインターネットの普及によるネット販売の拡大によって流通形態が激変したのです。しかし今、まさに商店街はかつてない危機に直面しているのです。
 十数年前から始まった日本政府の経済政策による意図的、恣意的な、円安、株高、インフレ誘導によって、一億総中流を謳歌した日本社会が富裕層と貧困層に二極化し格差が拡大の一途をたどっているのです。かつて商店街のもっとも中核な客層であった中間層が崩壊し豊かな沃野が荒れ果てて枯野と化したのです。そのような厳しい状況の中で、お祝い事だといってハシャグ気にはなれなかった。だから私は、あえて辛口のコトバを書き綴りました。私自身の決意、これから立ち向かわねばならない困難な状況への決意として書きました。第一稿「変わるものと変わらないも」、第二稿「集いの場」、第三稿「元町らしさ」、最終稿「神戸元町商店街の現在地」を、これから順次「三久録」に掲載いたしますので御一読いただければ幸甚です。