2025年12月30日


  グレース物語

 レコード鑑賞が趣味の私にとって、レコードを再生するためのオーディオ装置は、レコードと同じぐらい重要です。レコードを再生する経路は、レコードに刻まれた溝の物理的振動をフォノカートリッジが電気信号に変換し、その微弱な電気信号をアンプが増幅し、スピーカーが物理的信号に変換して空気を振動させて音を鳴らすのですが、音の入り口から出口まで、レコードプレーヤー、アンプ、スピーカーなど幾種類かの機器があり、それぞれの特性、個性で音質が変化し、その組み合わせで更に変化するので、自分の求める、気に入る音で鳴らすのは大変です。
 オーディオ装置の中でアンプやスピーカーは、一旦、購入、導入したら、そう簡単に入れ替えられません。私のオーディオルームの再生装置は、40年ほど前から、アンプはアキュフェーズ、スピーカーはダイヤトーンなのですが、それは気に入っているからで、それでもやはり、それぞれの音の傾向がある。私のレコード鑑賞は雑食性で、種々雑多なジャンルの音楽を楽しんでいるので、もう少し暖かい音とか、広がりのある音とか、パンチのある音を鳴らしたいと思う時がある。そういう場合、フォノカートリッジを交換するのが効果的なのです。
 私がレコードを聴くためのオーディオ装置の中でも、フォノカートリッジへの愛着は趣味の域を超えて道楽です。これまでに私はフォノカートリッジを数えきれないほど使用してきましたが、その製造メーカーは、国内のグレース、デノン、オーディオテクニカなど、海外のシュアー、オルトフォンなどですが、ここ数年、グレースを使用する頻度が増え、とうとうグレースだけになりました。
 なぜ数あるフォノカートリッジのなかで「グレース(品川無線株式会社)」のフォノカートリッジなのか。それは私が「グレース」のフォノカートリッジが大好きだからです。私の「グレース」への偏愛を語りたい、語り尽くしたい、と思い続けて「グレース物語」を書きました。この度「三久庵」に掲載いたしましたので御一読頂ければ幸甚です。「グレース」への愛情物語です。

2025年12月20日


  レコード鑑賞

 私の趣味はレコード鑑賞です。高校に入学したお祝いに母がステレオ電蓄を買ってくれて、以来、今日まで60年を越えてレコードを聴き続けてきました。大学に入学した祝金でオーディオコンポーネントを購入以来、レコードとオーディオに身の程もわきまえず分不相応にお金をつぎ込んできたのですが、甲斐性なしの稼ぎなのに文句ひとつ言わず黙認してくれた家内には感謝の気持ちでいっぱいです。
 家内には申し訳ないですがレコードとオーディオに散財してきたことに後悔はありません。レコード三昧の日々は充実していました。クラシック、ジャズ、ボーカル、ポップス、ロック、タンゴ、歌謡曲、民謡、ニューミュージック、フォークソング、ジャンルを問わず色々な音楽を楽しんで来ましたが、レコードに刻まれた音楽をオーディオ装置で丁寧に再生すればするほど、素晴らしい演奏が眼前に広がる様はレコード鑑賞の醍醐味です。
 レコードを聴き続けて学んだことが幾つかあります。「先入観を持たない」こと。自分の感性を無色透明にすること。得てして人は誰しも色眼鏡でモノを見がちですが、対象を見誤る危険性が大なのです。レコードを聴き始めた頃は、ライナーノートとか解説の類を読んだりしたのですが百害あって一利なし。自分が何を感じとるのかが大事なのです。
 「使いこなし」が大切。どんな高価な高性能のオーディオ機器でも使い方ひとつで銘器にも鈍器にもなる。生かすも殺すも使う人の心がけ次第なのです。「使いこなし」には指南書の類もありますが、やはり使い手の試行錯誤の経験値で会得するしかない。「使いこなし」て行けば行くほど、聴きなれたレコードから良い音が鳴ってくれる。至福の時です。
 すべてのことに「人ありき」。作曲した人、演奏した人、レコードに録音した人、再生装置を制作した人。私がレコードを鑑賞するために係わった沢山の人たちの創造的行為のお蔭で、かけがえのない豊かな時間を頂くことが出来るのです。

2025年12月10日


  貧すれば鈍す

 今から数年前、かつてない凶悪事件が頻発し、一体全体、日本社会はどうなってしまったのだ、と強い危機感を抱いた私は「来たるべき社会像」という一文を草しました。ところが恐るべきことに、さらに一層、日本社会は悪化の一途をたどっているのです。一昨年、私がこれまで書き留めた拙文を「三久庵」と名付けたホームページに掲載したのですが、一体全体、このままでは日本社会はどうなってしまうのだ、という思いで「時代の諸相」「人と人との間」「問題の本質」という論考を「現代社会論」として掲載しました。私としては最早これ以上書き加えることは無いのですが、しかし直近の現状は絶望の一歩手前だと思うのです。なぜ日本社会は、ここまで狂ってしまったのか。その根本原因はどこにあるのか。「貧すれば鈍す」、それがすべてではないか、と思うのです。拡大し続ける格差を、このまま放置すれば、生活に困窮する人が激増し、正常な判断力を失っていく人が激増する。今や日本社会は狂っている、としか思えないのです。
 つい最近、フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」を見ました。最初から最後まで謎だらけの映画でしたが、翌朝、忽然と謎が解けたのです。私見ですが「甘い生活」は「狂った生活」ではなかったか。何もかもが狂っている。正気であろうとするなら絶望しかない。フェデリコ・フェリーニは強靭な精神で絶望の一歩手前で立ち止まった。私には、そう思えたのです。