2025年7月30日 |
ニコン |
| この間、自宅のホームシアターで「マディソン郡の橋」を鑑賞しました。クリント・イーストウッド扮するカメラマンがマディソン郡に架かる橋を撮影するために出向いた先でメリル・ストリーヴ演じる女性と恋に陥るというラブストーリーなのですが、写真家は「ライフ」の専属カメラマンであることが暗示されていて「ニコン」のカメラを使用しているのです。 30年ほど前、弊店のお客様が「私の妹の主人が写真家で、よかったら差し上げます」とおっしゃられて三木淳の「英国物語」という写真集と「写真は哲学である」という本を頂戴したのですが三木淳という写真家がどのようなキャリアの方なのか、その時点では調べようがありませんでした。今回、「哲学」に因(ちな)む話を書いた中で、三木淳の「写真は哲学である」という本を引き合いに出したので、三木淳という写真家について今どきなのでインターネットで調べてみたのですが、ウイキペディアでの三木淳の記述は、優に一冊の本を読むぐらいの質量がありました。多少でも興味をお持ちいただける方がいらっしゃったら是非お読みいただければと思います。 第二次世界大戦の敗北で焦土と化した日本の再建のために、戦後、日本人は獅子奮迅の努力を重ねて今日の国家の礎(いしづえ)を築かれたのですが、写真家として三木淳の功績も実に多大でした。「ニコン」が世界の「ニコン」に飛躍するきっかけが三木淳にあったことがウイキペディアの文中に紹介されているのです。来日したライフのカメラマン、デビッド・ダグラス・ダンカンを三木淳が「ニコン」のレンズで撮影し、その写真を見た本人が驚愕し、早速ニコンの工場を訪れ、その高性能に驚嘆して、以降、ニコンのレンズを使用することになって、一挙に、ライフのカメラマンがニコンを愛用することになったのだそうです。「マディソン郡の橋」の主人公がライフの専属カメラマンで、ニコンのカメラを使用しているのは、そういう経緯があったのです。 映画「レインマン」でダスティン・ホフマン演ずる主人公が、肌身離さず持ち歩いた携帯テレビが「ソニー」の「ウォークマン」であったことも印象的でした。ある時代まで、日本は「ものづくり」大国だった。革新的で高性能な製品を創り続けて、世界中で愛用されました。「メイド・イン・ジャパン」は最高の賛辞を頂いた。ところが、いつの頃からか、「ものづくり」を蔑(ないがし)ろにし、疎(おろそ)かにするようになった。安直に金儲けに走り、バブル経済を惹起し、バブル経済崩壊後は、未だに停滞からの脱却の糸口すら見つけられないのです。 私は、今回、三木淳の足跡をたどることの中で、いかに戦後、日本人が国家の再建に想像を絶する努力を重ねられたかに思い至るのです。翻(ひるがえ)って怠惰で惰弱な我が身を省(かえり)みて恥じ入るばかりですが、今、私たちが為すべきは、もう一度、地道にコツコツ「ものづくり」に取り組むことではないか。「ものづくり」という創造的行為こそが日本再生の唯一の道である、と私は考えます。 |
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2025年7月20日 |
哲学 |
| 高校生の時、神戸国際会館で上演された劇団「民芸」の「ヴェニスの商人」を見て甚(いた)く感動し、とりわけポーシェ役の樫山文江に魅了されて、イッペンでファンになりました。どの大学を志望するかを考えていた頃だったので、早稲田大学文学部に樫山文江のお父様の樫山欽四郎が教授をされていることを知って、早稲田大学文学部を受験することにしました。早稲田大学第一文学部に入学後、樫山欽四郎教授の講義を受講しましたが、樫山欽四郎教授はヘーゲル哲学の研究者なので哲学の授業でした。180人が入る大教室でしたが受講生で一杯でした。しかし私には哲学の話は難解で何を教わったのかという記憶が、残念ながら、ほとんどないのです。友人が哲学に関心を持っていたので私も同姓の誼(よしみ)で三木清の著作を齧(かじ)ってみたこともあったのですが、全く歯が立ちませんでした。 呉服屋になった後、とあるお客様に私が写真を撮るのが好きなことをお話しすると「私の妹の主人が写真家で、よかったら差し上げます」とおっしゃられて三木淳の「英国物語」という写真集と「写真は哲学である」という本を頂戴しました。「写真は哲学である」という本は日本大学芸術学部の講義録でしたが、「写真は哲学である」とはどういう意味なのだろうと考えながら読んで、最後に、私なりに「写真は生き方だ」ということではないかと自得したのです。 ここしばらく、昨年来の兵庫県政の混乱が頭から離れなくて、「X」の投稿で元神戸新聞の記者でフリーのジャーナリストの松本創(はじむ)という方を知りました。松本創さんが「大阪・関西万博 「失敗」の本質」という本を共著で出版されていて読んでみたのですが、共著者の西岡健介さんが、「今回の大阪・関西万博はどうか。夢洲の開発ありき、IRありきで誘致が始まったことはもはや誰の目にもあきらかで、そこには『なぜ、今、日本で万博を開くのか。その意義は何か』という哲学など存在しない。」と書いておられることに無条件で同感します。 最後に、余談ですが、三十数年前、お客様から「妹の主人が写真家で」と頂いた写真集、本の著者、三木淳さんは、日本の写真史上、屈指の大写真家であることを、この一文を書くために三木淳さんがどのような方なのかをインターネットで調べて知りました。ビックリ仰天です。 |
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2025年7月10日 |
一点豪華主義 |
| 大学在学中は下宿生活でしたが、四畳半一間に、家具は勉強机と椅子と、本棚と、小さな箪笥と、電気炬燵だけの貧相な部屋で、オーディオ・コンポーネントだけがドーンと鎮座していて、遊びに来る級友たちには、「三木は一点豪華主義だね」と冷やかされました。一点豪華主義という言い方がイヤミに聞こえて、あまり良い気はしなかったのですが、言われてみればその通りでした。 あれから50年以上が過ぎて、私の人生は結局、一点豪華主義だった。なぜ一点豪華主義だったかというと、余分に使える「お金」が無かった。ずっと金欠だったからです。衣食住、着る物にも、食べる物にも、住む所にも、贅沢は出来なかった。「衣」は着た切りスズメ、「食」は半額シール、「住」は震災で壊れかかった家に今も住み続けています。なんとかここまで店を潰さないで来ましたが、それ以外は何も残せなかった。しかし、レコードとオーディオとカメラには身の程もわきまえず贅沢をしてきました。目下、心身ともに健康なのは、そのおかげです。 勿論、世の中には湯水のごとく「お金」が使える方もおられるでしょうが、普通は、大半は、そうではない。限られた「お金」をやり繰りする。私は、負け惜しみでも何でもなく、それでよかった、それがよかった、と思っています。なけなしの「お金」だから、何に使うかをド真剣に考える。人間、「考える葦」ですから、なけなしの「お金」を、何に使うかをド真剣に考えることで真っ当な人間になれるのです。私の場合は、常軌を逸して、レコードとオーディオとカメラにつぎ込んだ。が故に、真っ当な人生を送れた、と自嘲気味に自分の過去を肯定しています。 方や、世の中には、テーマパークやイベントに大枚をはたく方がいらっしゃる。刹那の熱狂、興奮に。一瞬豪華主義、と私は名付けますが、現在、大阪では、一瞬豪華主義の祭典が絶賛開催中です。 |
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