2025年4月30日 |
エドワルト・エルガー |
| ここしばらく聴いている近代音楽はイギリスの作曲家の作品です。随分以前になりますが、バルビローニが指揮するフレデリック・ディーリアスの管弦楽を初めて聴いたのですが、それまでイギリスの近代音楽を聴いたことが無かったので、ドイツでもフランスでもイタリアでもないイギリスの近代音楽に陶然としました。それが端緒で、俄然興味を持ってイギリス近代の作曲家、フレデリック・ディーリアス、エドワルト・エルガー、ヴォーン・ウィリアムスなどの作品をレコードで聴くようになりました。中でもエドワルト・エルガーを熱心に聴きました。 エドワルト・エルガーという作曲家の名前はご存じではなくても、「愛の挨拶」のメロディーは、一度ならず耳にされたことでしょう。エドワルト・エルガーが奥様にプレゼントされたというエピソードそのままの愛らしくも美しい曲です。その昔、私がまだ十代の頃、映画館で映画を見ていると、上映と上映の間にニュース映画がスクリーンに映し出されるのですが、そのとき流れる音楽が、エドワルト・エルガーの行進曲「威風堂々」であったことは、エドワルト・エルガーの音楽を聴くようになって知りました。 エドワルト・エルガーは、「愛の挨拶」とか「朝の音楽」のような綺麗な旋律の小品も作曲されているのですが、交響曲や協奏曲のような大曲も作曲されています。ここしばらく、あらためてエドワルト・エルガーの作品を聴いて、交響曲や協奏曲は、正直、良く分からいというのが率直な感想です。実に丹念に書き込まれていて充実した作品なのですが、構成がどうなっているのか、私の耳では聴き分けられないのです。スコアを見ながら聴けば、それなりに掴めるかもしれないですが、ここ何十年、スコアを見ながら聴くという習慣がないので、耳だけでは聴き分けられないのです。 エドワルト・エルガーの作品を「分からない」なりに一生懸命聴いていると、「分からない」ことを「分からない」なりに理解しようとすることは、シンドイけれど、悪いことではないと思えました。世の中には、一筋縄では「分からない」ことが一杯あります。むしろ「分からない」ことだらけでしょう。それを無理やり「分かった」ことのように思いこむことが、そもそも間違いの始まりではないか。得てして扇動家は、「分からない」ことを「分かった」ように思わせる手練手管の詐欺師なのです。 |
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2025年4月20日 |
ヨハン・セバスティアン・バッハ |
| 西洋音楽史上、最も偉大な作曲家は、と問われたら、私は、ヨハン・セバスティアン・バッハと答えます。作品の質と量とにおいてヨハン・セバスティアン・バッハは隔絶している。残された膨大な作品の中で、最高傑作は、と問われたら、「マタイ受難曲」と答えます。ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽の真髄のすべてが「マタイ受難曲」にある。 私のレコード棚には9種類の「マタイ受難曲」があります。指揮者はウィレム・メンゲルベルク、カール・リヒターは旧盤と新盤、オットー・クレンペラー、カール・ミューヒンガー、ルドルフ・マウエスヴェルガー、フリッツ・ヴェルナー、ニコラウス・アーノンクール、ミシェル・コルボ。どの演奏も名演です。とりわけ福音史家(エヴァンゲリスト)を歌うテノールは、技術的にも、精神的にも超至難ですが、エルンスト・ヘフリガー、ニコライ・ゲッダ、ピーター・ピアーズ、フリッツ・ヴンダーリヒ、ペーター・シュライアーなど、それぞれ当代随一の名歌手の歌唱は、超弩級の名演です。これほどの名演を演じせしめるのは、名曲のしからしむる所なのでしょう。 「マタイ受難曲」には幾つかの主題があります。その最も重要な主題は、イエス・キリストを十字架に懸けた「愚かな民衆」への怒りです。ヨハン・セバスティアン・バッハの、地を割き、天を突く怒りです。しかし「愚かな民衆」によって死に至らしめられたイエス・キリストの肉体は死滅しても、その精神は不滅であることは歴史の知るところです。いつの時代にあっても、不正を為すのは、扇動された「愚かな民衆」なのです。 |
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2025年4月10日 |
バロック音楽 |
| 早稲田大学在学中の4年間、私は下宿生活だったのですが、仕送りが月3万円だったので、最低限の生活費、下宿代、交通費、食費だけで残金はほぼ無くて、レコードや本を買えず、どうしても欲しいときは、中古レコード屋さんや古本屋に売りに行って、そのお金で買いました。今になって時々、あのレコードを売ったのは惜しいことをした、と思わなくはないのですが仕方がありませんでした。ということだったので、もっぱらFM放送を聴いていました。その頃、NHKのFM放送で「朝のバロック」という番組があり、毎朝、聴くのが日課でした。その名残か、今も、朝起きて、先ず聴くレコードはバロック音楽です。朝がバロック音楽なのは、生理的に起床後すぐにベートーベンの「運命」やストラビンスキーの「春の祭典」は聴きづらい。やはりバロック音楽の素朴な響きが心地よいのです。 自分で言うのは何ですが、私のレコード・コレクションはキッチリ整理されていて、クラシックのレコードは「バロック音楽」「古典派音楽」「ロマン派音楽」「近代音楽」「現代音楽」のように時代順に分けてあります。ジャズは「ビッグバンド」「トランペット」「アルトサキソフォン」「テナーサキソフォン」「バリトンサックス」「クラリネット」「ピアノ」「ヴァイブラフォン」「ドラム」など楽器別で、それぞれはアーティストのABC順で並べてあります。ポップスは「女性ヴォーカル」「男性ヴォーカル」「ヴォーカルグループ」「ロック」「ヒュージョン」などジャンル別で、それぞれアーティストのABC順。そのほか、10インチ盤、ドーナツ盤、SP盤はそれぞれの並べ方で、聴きたいレコードは、すぐに取り出せるのが私の自慢です。 ある時、死ぬまでに二度と聴くことがないレコードもあるだろう、と思うと申し訳ないような気になって、それまでは、あのレコードを聴こう、このレコードを、と選んで聴いていたのが、そうするとどうしても聴かないレコードがあるだろうと思って、クラシックのレコードは、レコード棚の左から右へ順番に取り出すようにしています。そういう選び方なので、朝一番は「バロック音楽」、次に「古典派音楽」、朝食をはさんで「ロマン派音楽」「近代音楽」を聴いています。今、聴いている「バロック音楽」はヨハン・セバスティアン・バッハです。 |
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