2025年3月30日


  夢物語

 1900年代から世紀が変わって2000年代になった頃、高画質の映像ソフトがレーザーディスクからDVDに代替わりしていきました。ある時、元町商店街を歩いていたら書店の店頭のワゴンにDVDのソフトが陳列されていて、映画通でも何でもない私でもタイトルを知っている往年の名画が販売されていたのですが、その価格が、それまで私が買い続けてきたレーザーディスクの何分の一なのです。エー!こんな値段で買えるの!と私の物欲が一挙にザワついたのです。名前は知っているけれど、まだ見たことのない誉れ高き名画の数々。一変でDVDのプレーヤーとソフトを買うことに決めました。
 ホームシアターをDVD対応にするために東芝のDVDビデオレコーダー「RD―X5」を購入、と同時に液晶プロジェクターをサンヨー「LP―Z4」に交換しました。愛用してきた液晶プロジェクターはサンヨーの最初期の機種で、スペックが必ずしも高くなかったのでサンヨーの最新の「LP−Z4」に替えたのですが、まるで次元の違う画質で圧倒されました。
 我が家のホームシアターもDVDにシフトを変えてから、すでに20年が経ちました。自室をホームシアターもどきにして、すでに35年が経ちました。その間、大好きなオードリー・ヘップバーンやイングマール・ベルイマンの映画をはじめミュージカルやオペラの数々を見ることが出来たのは本当に幸せでした。自宅で、いつでも居ながらにして映画が見られるなんて夢のまた夢のような話だったのに、夢物語を実現するために、ソフト、ハードの開発者達が、熱意と努力を傾注して可能にしてくださったことに感謝の気持ちで一杯です。私にとって人生最大の贅沢なのです。

2025年3月20日


  液晶プロジェクター

 私が、必ずしも好き好んで映画を見なかったのは、人混みが苦手だからでした。チェロを弾き始めて、チェロを弾くことにかまけるようになって、ほとんど映画館に足を向けることが無くなっていたのですが、偶にテレビで往年の名画を見ると、やっぱり映画は素晴らしいと思うのですが、小さなブラウン管で吹き替えの映画を見るのは残念で、でも、こんな風に居ながらにして映画が見られたら、と思っていたら、いつの頃からか液晶プロジェクターなるものが実用化し、ホームシアターなる言葉が現実になって、実際に見てみたいと思うようになりました。その頃、店の近くにあったヤマハ神戸店のオーディオ売場に行ってみると液晶プロジェクターが視聴できるようになっていました。馴染のスタッフの方にお願いをしたら、なんと、オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」をレーザーディスクで見せて下さったのですが、目の前に映し出された画像は衝撃でした。液晶プロジェクターは目が飛び出るような値段でしたが、いつかきっと購入して自宅で映画を堪能しようと心に決めました。
 当時、「AV(オーディオ&ビジュアル)」なる言葉が雑誌等で散見されるようになり、記事を読んでみると、AV機器の新製品が紹介されていて、サンヨーが発表した液晶プロジェクター(型番忘却)が好評で、価格も最初に見た機種の半分ほどでした。その頃、妹の主人がサンヨーに勤めていて、身びいきもあって購入を検討しようと思い立って、守口の本社のショールームで視聴できるとのことで、家内と連れ立って行きました。なぜかオードリー・ヘップバーンが最後に出演した映画「オールウエイズ」がスクリーンに投影されて、綺麗な画面に感動して、購入することにしたのです。
 当時、映像ソフトの主流はビデオテープでしたが画質が不満で、パイオニアがまさしくパイオニアとして開発したレーザーディスクが圧倒的に優れていて、ハードはパイオニアのレーザービジョンプレーヤー「LD―S1」を購入しました。部屋を真っ暗にしてスクリーンに映し出された画面に感動したのですが、スピーカーから聴こえてくる音は、画面のスケールに比べると貧弱で、やはりサラウンドにしなければ、とパイオニアのサラウンドフィールドプロセサー「SP―91D」を導入してみると絵と音が見事に合体しました。
 自宅の一室をホームシアターもどきにしてレーザーディスクを次から次に購入して鑑賞しましたが、まだバブル経済崩壊前で「丸太や」もかつてない売り上げが計上できていました。AV機器もさることながら、レーザーディスクが半端ではない価格でしたが平気で買い続けました。おかげで往年の名画の数々、オペラなど、映像ならではの迫力を堪能しましたが、その頃、まだ就学前の娘と息子に、ディズニーや各国の作家が制作したアニメーション映画を見せてやることが出来たのは本当に良かった。子育てらしい子育てを一切やらなかった私のたった一つの幼児教育でした。

2025年3月10日


  映画館

 子供の頃の朧気(おぼろげ)な記憶に、母に連れられて長田の大正筋の映画館に行った思い出があります。長田の大正筋は神戸の西の繁華街で、須磨の自宅から市電に乗って行きました。今、思うと映画は「水戸黄門」だったようで、娘さんが人身御供(ひとみごくう)で森の中に連れていかれて、置いてきぼりにされて、悪者にさらわれそうになるところを、助さん、格さんに助け出されて、悪人は黄門さんに成敗されるという話だったような気がするのですが、子供心に怖かった。映画を見たのが、その時が初めてだったかどうかまでは覚えていませんが、真っ暗な映画館の中で、大画面で見るのは迫力というよりは恐怖だったのでしょう。映画を見るのが、それほど好きではなかったのは、長時間、真っ暗な中で映画を見て、終わって外に出ると、くらくらっと目眩(めまい)のような気分になるのが嫌だったのでしょう。
 それほど好きでもなかった映画ですが、中学生になると友達に誘われて映画館に行くことが増えました。その当時、神戸で一番の映画館は新開地の「聚楽館(しゅうらくかん)」でした。「えーとこ、えーとこ、しゅうらっかん」と囃子コトバがあったほど。「サウンド・オブ・ミュージック」には心底、感動し、何度も見に行きました。
 高校生になって、「戦争と平和」を見て、ナターシャ役のオードリー・ヘップバーンのファンになりました。真剣にファンレターを送ろうと思ったのですが、英語で書かないと読んでもらえないだろうと気付いて、諦めました。それから、オードリー・ヘップバーンの映画がリバイバル上映されるたびアッチコッチの映画館に見に行きました。「ローマの休日」「麗しのサブリナ」、なかでも「昼下がりの情事」が大好きだった。音楽学校でチェロを習っているヘップバーンが初老の紳士に恋をする、というストーリー。その数年後、大学でオーケストラに入団し、チェロを弾き始めるなんて、その時は夢にも思いませんでした。
 大学では、クラブ活動の資金作りに映画の上映会が時おり開かれていて、100円の入場料だったので度々見に行きました。初めて見たイングマール・ベルイマンの「沈黙」がなぜか、わけもなく気になって、イングマール・ベルイマンの作品が上映されると、その都度、見に行きました。後年、家内と結婚することになって、交際中、一度だけ一緒に見た映画は、イングマール・ベルマンの「秋のソナタ」でした。音楽を通じて出会った二人だったので、そういう映画かと思ったら、とんでもなく深刻な話で、「暗い映画は、私はいいわ」と言われてしまいました。