「三久録」は、庵主、三木久雄の備忘録です。日々の暮らしのなかで感じたこと、考えたことを取り留めもなく書き綴りました。タイトルの「三久録」は「三・六・九」のモジリです。

2026年7月20日


  大恩人

 少し気取った言い方ですが、私は人生で三つのレガシーを達成できたと自負しています。店を潰(つぶ)さずに息子に代替わり出来たこと。着物の意匠に洋楽器を採り入れたこと。そして「元町ミュージックウィーク」を始めたことです。
 「元町ミュージックウィーク」を始めることが出来たのは、島田誠さん、下村俊子さん、奈良山喬一さんがいらっしゃったからです。三人のお力添えがなければ途方もない夢物語は実現できなかったでしょう。「元町ミュージックウィーク」開催までの経緯の中で、乗り越えなければならなかった問題は、ひとえに私が商店街という組織の在り方に無知であったからです。私は「丸太や」に入社以来、阪神淡路大震災が勃発した1995年、齢(よわい)45歳の時まで商店街活動は一切(いっさい)経験したことが有りませんでした。商店街がどのように組織され運営されているかについて知識がまるで無かったのです。「元町ミュージックウィーク」を独りよがりで始めて、進めようとした私を、島田誠さん、下村俊子さん、奈良山喬一さんは、私の思いをしっかり受けとめて、如何に実現してゆけば良いかを、商店街の大先輩として暖かくご指導してくださったのです。
 私は2006年に開催された第9回「元町ミュージックウィーク」終了後、事務局長を退任し、実行委員会を離任しました。私の力不足で投げ出したのが実情です。しかし「元町ミュージックウィーク」は、その後も、実行委員会、事務局、元町商店街、兵庫県、神戸市、関係諸団体のご尽力とご協力によって着実に開催を重ね、本年、第27回目の開催を迎えることになりました。私の夢は、途絶えることなく、今も元町商店街に音楽が鳴り響き、心の輪が広がり続けているのです。「元町ミュージックウィーク」が私の「生きた証」であるなら、私に「元町ミュージックウィーク」を始めさせて下さった島田誠さん、下村俊子さん、奈良山喬一さんは、私の人生の大恩人なのです。

2026年7月10日


  夢物語

 夢でした。音楽がさりげなく街に流れ、行き交う人が、その響きになにげなく耳を傾ける。元町が、そんな街であれば、と想い続けていました。島田誠さんの計(はから)いで「みなと元町タウン協議会」の席上で「元町ミュージックウィーク」構想を発表したのがきっかけで、開催の気運が徐々に醸成し、その機に乗じて島田誠さんは「三木さん、この秋に元町ミュージックウィークを開催しましょう」とおっしゃられたのですが「この秋は準備が間に合わないので来年の秋にでも」とお答えしました。
 機が熟して、翌1998年1月に実行委員会が発足し、開催名を「元町ミュージックウィーク」と決定し、実行委員長の人選になり数名の名前が挙がったのですが「風月堂の下村社長は」という声に衆議一決、下村俊子さんが実行委員長、島田誠さんが副実行委員長、私が事務局長に就任しました。「元町ミュージックウィーク」実行委員会が発足し、月に一度の委員会を重ねて、開催の期日、内容について検討が加えられ、順調に準備が進められたのですが、元町商店街の内外から意見や批判が起きたのです。私の独断専行で事が推し進められているのではないかという疑念でした。その状況を憂慮された元町商店街連合会の奈良山喬一会長は「元町ミュージックウィーク」を元町商店街連合会の主催事業として位置付けてくださったのです。私的ではなく公的な事業であることを内外に明示されたのです。
 1998年10月16日、第一回「元町ミュージックウィーク」のオープニングコンサートが兵庫県公館を会場に、池宮正信とニューヨークラグタイムオーケストラの演奏で開催されました。会場と演奏者は下村俊子さんがお声掛けいただいて実現したのです。私は会場の受付で次から次へお越しになられるお客様をお迎えしたのですが、奈良山喬一ご夫妻もご来場され感激いたしました。盛大な拍手のうちに終演となり、お客様をお見送りしながら私は「夢は叶った(DREAMS COME TRUE)」と心の中でつぶやきました。