「三久録」は、庵主、三木久雄の備忘録です。日々の暮らしのなかで感じたこと、考えたことを取り留めもなく書き綴りました。タイトルの「三久録」は「三・六・九」のモジリです。

2025年4月20日


  ヨハン・セバスティアン・バッハ

 西洋音楽史上、最も偉大な作曲家は、と問われたら、私は、ヨハン・セバスティアン・バッハと答えます。作品の質と量とにおいてヨハン・セバスティアン・バッハは隔絶している。残された膨大な作品の中で、最高傑作は、と問われたら、「マタイ受難曲」と答えます。ヨハン・セバスティアン・バッハの音楽の真髄のすべてが「マタイ受難曲」にある。
 私のレコード棚には9種類の「マタイ受難曲」があります。指揮者はウィレム・メンゲルベルク、カール・リヒターは旧盤と新盤、オットー・クレンペラー、カール・ミューヒンガー、ルドルフ・マウエスヴェルガー、フリッツ・ヴェルナー、ニコラウス・アーノンクール、ミシェル・コルボ。どの演奏も名演です。とりわけ福音史家(エヴァンゲリスト)を歌うテノールは、技術的にも、精神的にも超至難ですが、エルンスト・ヘフリガー、ニコライ・ゲッダ、ピーター・ピアーズ、フリッツ・ヴンダーリヒ、ペーター・シュライアーなど、それぞれ当代随一の名歌手の歌唱は、超弩級の名演です。これほどの名演を演じせしめるのは、名曲のしからしむる所なのでしょう。
 「マタイ受難曲」には幾つかの主題があります。その最も重要な主題は、イエス・キリストを十字架に懸けた「愚かな民衆」への怒りです。ヨハン・セバスティアン・バッハの、地を割き、天を突く怒りです。しかし「愚かな民衆」によって死に至らしめられたイエス・キリストの肉体は死滅しても、その精神は不滅であることは歴史の知るところです。いつの時代にあっても、不正を為すのは、扇動された「愚かな民衆」なのです。

2025年4月10日


  バロック音楽

 早稲田大学在学中の4年間、私は下宿生活だったのですが、仕送りが月3万円だったので、最低限の生活費、下宿代、交通費、食費だけで残金はほぼ無くて、レコードや本を買えず、どうしても欲しいときは、中古レコード屋さんや古本屋に売りに行って、そのお金で買いました。今になって時々、あのレコードを売ったのは惜しいことをした、と思わなくはないのですが仕方がありませんでした。ということだったので、もっぱらFM放送を聴いていました。その頃、NHKのFM放送で「朝のバロック」という番組があり、毎朝、聴くのが日課でした。その名残か、今も、朝起きて、先ず聴くレコードはバロック音楽です。朝がバロック音楽なのは、生理的に起床後すぐにベートーベンの「運命」やストラビンスキーの「春の祭典」は聴きづらい。やはりバロック音楽の素朴な響きが心地よいのです。
 自分で言うのは何ですが、私のレコード・コレクションはキッチリ整理されていて、クラシックのレコードは「バロック音楽」「古典派音楽」「ロマン派音楽」「近代音楽」「現代音楽」のように時代順に分けてあります。ジャズは「ビッグバンド」「トランペット」「アルトサキソフォン」「テナーサキソフォン」「バリトンサックス」「クラリネット」「ピアノ」「ヴァイブラフォン」「ドラム」など楽器別で、それぞれはアーティストのABC順で並べてあります。ポップスは「女性ヴォーカル」「男性ヴォーカル」「ヴォーカルグループ」「ロック」「ヒュージョン」などジャンル別で、それぞれアーティストのABC順。そのほか、10インチ盤、ドーナツ盤、SP盤はそれぞれの並べ方で、聴きたいレコードは、すぐに取り出せるのが私の自慢です。
 ある時、死ぬまでに二度と聴くことがないレコードもあるだろう、と思うと申し訳ないような気になって、それまでは、あのレコードを聴こう、このレコードを、と選んで聴いていたのが、そうするとどうしても聴かないレコードがあるだろうと思って、クラシックのレコードは、レコード棚の左から右へ順番に取り出すようにしています。そういう選び方なので、朝一番は「バロック音楽」、次に「古典派音楽」、朝食をはさんで「ロマン派音楽」「近代音楽」を聴いています。今、聴いている「バロック音楽」はヨハン・セバスティアン・バッハです。