倫理の崩壊

 昨今の日本の社会状況を鑑みるに「倫理の崩壊」の一語に尽きるのではないか。その象徴的事例は「平然と嘘を吐(つ)く」。私たちが考えるべきは「なぜ倫理は崩壊したのか」という問題です。私は「なぜ倫理が崩壊したのか」を考え続けて思い当たる原因を探り続けましたが、そう簡単に「これが原因だ」と断定できるわけではありません。唯、「人と人との関係の在り方」ではないかと思うのです。
 私たちは、生まれ出でてこの方、たった一人で生きて来たわけではありませんし、たった一人で生きて来(こ)られたわけでもありません。他の人と共に生きて来たのです。親子、夫婦、兄弟、姉妹、友人、知人、先生、生徒、先輩、後輩、上司、部下、同僚、ありとあらゆる人間関係を結びながら生きて来たのです。であるが故に、良い人生を送るために大事なのは、他の人たちと良好な関係を創り、保ちながら生きることです。そのために何より大切なのは信頼関係、互いに認め合い、信じ合うことです。私は倫理とは、人間同士の信頼関係を築くための基礎となる理念だと考えます。
 「倫理」という言葉は「倫(みち)」であり「理(みち)」です。「みち」は「道」であって、人が進むべき「道」です。「道」がなければ人は前にも後ろにも右にも左にも進むことが出来ない。しかし「道」は唯に「道路」ではありませ。自分にとって正しい歩みを進める「道」、すなわち「正道」なのです。私たちは人生を歩む「道」の途上で沢山の人と出会い、共に生きてゆく。その土台、基礎となるのは「共感」です。人間誰しも、強くも弱くもあり、時に喜び時に悲しみ、笑いもすれば怒りもする。お互い、決して神様でも仏様でもない。正しくもあり間違いもある。不完全な人間であることを互いに認め合い、共に生きてゆくために何が大切であるかを考える。私は「倫理」とは「共生の論理」ではないか、と考えます。では一体「共生の論理」と何か。私は誰もが首肯できる共通認識だと考えます。「1+1=2」であり「赤は赤」であるという。ところが「1+1=3」であるとか「黒を白」と言い募(つの)られたら対話は不能になる。「共生の論理」が毀損されれば対話が不成立となり「共感」の基盤が破壊され、「倫理」が崩壊するのです。
 なぜ「共生の論理」が毀損されるのか。なぜ「有るものを無い」と言い、「無いものを有る」と強弁するのか、できるのか。私は過去の経験で、人間には二つのタイプがあると考えます。他者との関係を上下関係でしか見ない人間と、対等な立場で見る人間と。他者との関係を上下関係でしか見ない人間は、自分より上と見る他者へは追従し、下と見る相手には服従を強要する。日本の社会に蔓延するハラスメントは「共生の論理」が毀損された結果なのです。であるなら「共生の論理」の再生は、全ての人間関係が上下関係に収斂する「タテ社会」から、誰もがみな互いに対等であることを認め合う「ヨコ社会」に変革していかなければなりません。誰もがみな互いに対等であることを認め合うために必要不可欠なのは「共感」です。「倫理」の崩壊を食い止め、「共生の論理」を再生するために、今、何より重要なのは「共感力」の醸成なのです。