問題意識

 私が「音楽自伝」を書こうと思い立ったのは、日本社会の変質に強い危機感を抱いたからです。2024年7月7日に実施された東京都知事選挙で無名の新人候補者が170万を超える票を獲得したのです。衝撃だった。何か恐ろしいことが起きている。引き続き2024年10月27日に実施された衆議院選挙ではSNSを駆使した政党が従前の何倍も議席を獲得したのです。しかし私が心底、恐怖したのは2024年11月17日に実施された兵庫県知事選挙でした。県議会の不信任決議での辞任を受けて後継を選ぶ選挙でしたが事前の予想を覆して前知事が再選されたのです、何もかもが異常な選挙戦で。2025年7月20日に実施された参議院選挙も大方の予想と異なる結果になりました。そして、2026年2月8日に実施された衆議院選挙でした。
 日本は民主主義社会です。その根底に選挙がある、国民の意思、民意を問う選挙が。しかし果たして今、選挙が正しく民意を反映しているのか、はなはだ疑問です。私の知る範囲でも過去に遡(さかのぼ)って事前の予想を覆す選挙は何度もありました。しかし2024年7月7日の東京都知事選挙以降の選挙結果は従前とはまるで異質です。常識では理解できない理不尽さがある。その理由はSNSにある、SNSの不当な使用が。2020年、コロナ感染症が世界中で猛威を振るい、国内でも感染が猖獗を極め、平穏な日常は瞬時に失われました。人と人とが直に接するという、ごくあたりまえな人間関係が出来なくなって、その対応策としてインターネットを活用したオンラインが推奨され、会議も授業も何もかもが仮想空間(バーチャル)で行われるようになりました。バーチャル・コミュニケーションへの移行が急速に進んだのは、時を同じくしてスマートフォンが爆発的に普及したことにあります。それまでは若年層を中心に始まった使用が、コロナ禍で一気に全世代に波及したのです。
 しかし物事は何事も長所と短所があります。通常であれば利点と欠点の軽重を慎重に検討するのですが、コロナ禍の異常な状況下でバーチャル・コミュニケーションの偏重は止むを得ないものがありました。しかしバーチャル・コミュニケーションへの過度の依存は弊害があります。バーチャルはバーチャルであるが故に真偽のほどを確かめることが難しいのです。従前の主たる情報源であった新聞、テレビ、ラジオがオールドメディアと蔑称され、その情報の信憑性が著しく過小評価され、SNS上の情報が真実であるという言説が実(まこと)しやかに流布されたのです。直近の国政選挙の結果はSNSの影響なしでは考えられないでしょう。
 私は、コロナ禍が沈静化した今、異常な社会が正常に立ち返るためにリアル・コミュニケーションへの回復が不可欠だと考えます。なぜなら、バーチャル・コミュニケーションは人間の五感が充全に機能しないからです。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚は人間が自らの生命を全うするために具備した危険察知能力だからです。スマートフォンから取得する情報は極めて限られている。しかし人と人とが出会い、触れ合うリアル・コミュニケーションは、互いに膨大な情報を交換する行為なのです。