元町ミュージックウィーク

 震災後、1995年10月に開催した「丸太や」店内でのコンサートは、当初「モトマチミュージックウィーク」と名付けていました。「モトマチミュージックウィーク」と名付けたのは、私に密かな夢があったからです。元町商店街には、私たち夫婦が演奏した「アマデウス」というクラシック名曲喫茶店や、弊店が「きもので集うワインコンサート」を開催した「ユーハイム本店」とか、「ヤマハ神戸店」、「神戸風月堂」でコンサートが開かれていました。店内でコンサートを始めようと思い立った時、はたして呉服屋でコンサートを開催して、誰が気づいてくれるだろう、誰が聴きに来てくださるだろう、と不安になったのです。折角、練習を重ねて本番を迎えても、誰も聴きに来て下さらなかったらコンサートにならないと思ったのです。弊店だけで告知しても大して効果はないだろう。ある一定の期間、元町商店街で「ユーハイム本店」や「ヤマハ神戸店」「神戸風月堂」「アマデウス」で音楽週間のようにコンサートを同時開催して、それぞれのコンサートを各会場で告知宣伝したら、弊店だけではできない告知効果が期待できるのではないかと考えたのです。「音楽の街 元町」を打ち出せば商店街のイメージアップ、集客になるのではないか。何より、元町商店街で、なにげなく、さりげなく音楽を楽しんでいただければ、街が明るく賑わうのではないか。
 私は震災の年、1995年まで商店街の活動には一切係わったことがありませんでした。自分の商売のことで目一杯だったのです。しかし震災で、一体これから商売はどうなるのだろう、神戸は、元町商店街はどうなるのだろう、立ち直れるのだろうかと考えたら自分の商売だけの問題ではないと気付いたのです。1995年6月の元町1番街商店街振興組合の役員改選で私は初めて理事に就任しました。理事に就任して、役員の方々、組合員の方々と親しくお付き合いするようになって商店街の復興を私なりに考えるようになりました。
 私は元町商店街で音楽週間のようなイベントが出来ないか、と思い立って「元町ミュージックウィーク」構想を理事長にお話ししました。すると「良い企画ですね。理事会で提案してください」と仰っていただいたのです。ところが理事会では「なんでクラシックや。クラシックで客が来るか」と一蹴されたのです。しかし私はめげずに、ことあるごとに「元町ミュージックウィーク」構想を語り続けました。私の想いを「海文堂」社長の島田誠さんが受け留めてくださって開催に向けてご尽力下さり、1997年10月に「元町ミュージックウィーク」が開催の運びとなりました。
 私の夢だった「元町ミュージックウィーク」が開催されることになり、開催に向けた準備が着々と進められ、いよいよ開催を告知する印刷物を制作する段になって、私は、なぜ「元町ミュージックウィーク」を開催しようと思い立ったのか、そのことを簡潔に、しかし明確に伝えるにはどんな言葉がいいのか、と考えて、フッと「街がステージ みんなでコンサート」というコトバが浮かんだのです。立派なホールで開かれるコンサートも素敵だ。著名な音楽家の演奏も素晴らしい。しかし上手いとか下手とかではなく、歌うことが大好き、弾くことが楽しい、そんな人たちの奏でる音楽が元町商店街に流れ、道行く人が思わず立ち止まって、ひととき、心ゆたかになる。元町商店街がそんな街であれば、それが私の夢だったのです。