「縁」というのは不思議なものです。1994年の春、漆芸家の小島雄四郎さんの個展を弊店2階「ギャラリー響」で開催中のことでした。来場された女性と小島さんご夫妻が親しげに話を交わされていたのですが、なぜかしばらく座っておられたのです。すると奥様が「このお嬢さん、とてもピアノがお上手なんですよ」とご紹介下さったので私が「作曲家はどの方がお好きですか」とお尋ねすると「シューマンです」と答えられたのです。私はシューマンのピアノ四重奏曲を弾くのが夢だったので「一緒に室内楽をやりませんか」と申し上げました。それが上林きよみさんとの出会いの始まりでした。小島雄四郎さんのお嬢さんと上林さんは高校生の時からのお友達で、小島さんの個展の会場でお嬢さんと待ち合わせされていたそうなのです。最初に家内と私とでモーツァルトのピアノ・トリオを練習したのですが、自宅のアップライトのピアノが、かつてないほど朗々と豊かに響いたのは驚きでした。
 しばらく親しくアンサンブルを楽しむようになった頃、上林きよみさんが「お店の帳面のお手伝いをしますよ」と言ってくださったのです。家内が商売と子育てをしながら会計をするのを見るに見かねてのことでした。会計の記帳をしてもらうようになって1年後、阪神淡路大震災が勃発。その日の夕方、電話が鳴って「久雄さん、ご無事でしたか」と尋ねてくれたのです。練習の度に自宅に来て、木造の古い家を知って心配してくれたのです。その年の10月に店内でコンサートを始めて、真っ先に上林きよみさんとピアノ・トリオを演奏しました。第1回目のコンサートは、お客様が来られると、その都度、演奏したので、一日に十回以上演奏することもありました。
 家内以上に音楽のお付き合いが長いのがフルートの宮成育さんです。彼女は私が西宮交響楽団に入団した時、まだ中学3年生で最年少団員でした。とても熱心なフルーティストだったので親しくさせていただき、音楽大学に在学中はフルート・カルテットで先生のレッスンを受けたこともありました。実は宮成育さんこそ私と家内との縁結びの神様でした。コンサート会場で彼女と出会った時「三木さん、大阪に素晴らしいオーケストラが出来たの。三木さんも入らない」と誘ってくれて大阪シンフォニカーに入団したのが家内と出会う運命の扉だったのです。震災後、神戸で商売が出来そうになく、京都のギャラリーで「丸太やオリジナルコレクションコンサート」の発表会を開催した時、宮成育さんにお願いして会場でフルート・カルテットを演奏してもらいました。秋に店内でコンサートを始めた時も宮成育さんとフルート・カルテットを演奏したのです。
 私が西宮交響楽団の運営委員だった時、ショスタコーヴィッチの交響曲とストラヴィンスキーのバレー音楽に挑戦することになって、指揮者からバイオリンにエキストラを入れて欲しいと要望され、音楽大学の学生さんに依頼したのですが、そのお一人が橋本都恵さんでした。彼女のバイオリンを演奏する姿勢が凛としていて、一緒に室内楽が出来ないかとお願いしてカルテットを始めました。縁とは不思議なもので私の親友が結婚することになって、お相手が橋本都恵さんの友達だったので披露宴でカルテットを演奏しました。橋本都恵さんとのカルテットは熱心に練習を重ねて、二度、教会コンサートで演奏しました。震災後、店内でコンサートを始めてからは、常連の出演者になっていただきました。