オーケストラ |
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最初の一歩で躓(つまず)いたチェロですが、何とか気を取り直して弾き続けました。しかし才能が無いのは明々白々で、それから何度も挫折の危機があったのを何とか乗り越えたのですが、3年生の夏のことでした。ある日の練習の時、4年生の先輩が全員、練習を休まれたのです、就職活動で。チェロの先輩は名手揃いなので、私は陰に隠れてコソコソと弾いたふりをしていたのが、突然、私にチェロのトップが回ってきたのです。練習の最中、あまりの酷(ひど)さにトレーナーが激怒して「鉢植えの盆栽(凡才)は一日25時間練習しないと駄目」と強烈ダメダシされたのです。 それから間なしに合宿があり、秋の定演のプログラムがブルックナーの交響曲第7番という難曲で、チェロのパート練習で余りの弾けなさに先輩が業を煮やして「調弦ぐらいチャンと合わしなさい」と叱咤されたのです。私は、自分の不甲斐なさに、思わず練習室を飛び出して草原で号泣しました。泣きながら、人間の身体って、こんなに涙が溢れ出るのだと驚きました。 合宿から帰って、もうチェロを弾くのは無理だ、と弾くのを止めて、レッスンも止めて、オーケストラも止めました。私がオーケストラの練習に出なくなったのを訝(いぶか)しく思った同輩、先輩、後輩から、一体どうしたのかという問い合わせがあり、事情を説明したら、手紙を書いてくれたり、下宿に訪ねてきてくれたりして、一生懸命、チェロを止めないように説得してくれたのです。その熱意に心打たれて、もう一度やり直そうと決めました。もしあの時、チェロを弾くことを止めていたら、私の人生は、今と全く違っていたことでしょう。私がチェロを諦めないよう説得してくださったオーケストラ仲間に感謝のコトバしかありません。 早稲田大学交響楽団は伝統もあり演奏水準も高く、才能も経験もない私は、4年間の在団中、肩身の狭い思いをしっぱなしだったのですが、先輩からは親身になっていただき、同輩には楽しく付きあってもらい、後輩に慕われて、充実した演奏活動を続けることが出来ました。あの頃、私は人と上手く接することが出来なくて、人間関係に悩んでいました。しかしオーケストラは「良い音楽を」という目的に向かって、メンバー全員が心を一つに、力を合わせて、一人では決して成しえない感動を生み出す瞬間を経験して、社会のあるべき理想郷だと実感したのです。 |