対話

 一九九七年八月に、初めて小山憲市さんの工房をお訪ねした時、娘は、中学校二年生、息子は、まだ小学校五年生でした。折角、信州まで遊びに来たのに、三時間も、四時間も、お父さんやお母さんが、仕事の話をしているのを、じっと聞いていないといけないなんて、ツマンナイ!と思っていたことでしょう。「お父さんは、しゃべりすぎ」と責められました。それでも、毎年、小山憲市さんの工房をお訪ねしていると、次第に、子供たちも、優しい、小山憲市さん、奥様に親しみを持つようになり、だんだん、子供のほうから、色々、話をするようになりました。「今日は、萌ちゃんや、弦(ゆづる)くんのお話を聞かせてもらえて、良かったね」と、帰り際、ご夫婦でにこやかにおっしゃってくださいました。家族旅行を楽しむ、という余裕のなかった私たち家族にとって、毎年、夏に、信州を訪れ、「清里マンドリン音楽祭」に参加し、小山憲市さんの工房を訪問することは、ささやかではあるけれど、貴重な寛ぎのひとときでした。
 二〇〇三年十一月、の事でした。NHK教育テレビの、「真剣10代 しゃべり場」、という番組を見た息子は、その日のテーマだった、「平凡な人生はいやだと思いませんか?」という討論の内容について、自分の意見を、NHKに送ったのです。すると、NHKから、もっと詳しく、ご意見をお寄せください、という返信があり、息子は、自分の考えを、あらためて、書き送りました。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 僕の父は呉服屋を営んでいる。でも、僕にとって呉服屋は魅力のある仕事ではなかったので、父の跡を継ごうなんて思わなかった。そんな僕の気持ちが変わったのは、中学三年生の夏休みのことだ。毎年家族でいく旅行の最後の日に、信州上田の織物作家を訪ねた。父と作家さんが語り合うのを聞いていたのだが、その時、父は今の呉服業界の問題、本当にお客様に喜んでもらえる商い、これからの呉服業界のあり方などを熱く語っていた。僕はこの時初めて本音で語る父を見た気がした。その時の父はとても魅力的で、輝いて見えた。「この仕事こそ、僕のやりたい仕事だ。」ただの平凡な仕事だった呉服屋が、意義ある仕事に思えるようになった。
 どんな未来だって、平凡なものなんて一つもない。自分が本当にやりたい何かを見つけることが、人生を豊かにすると思う。
 あの日の気持ちを持ちつづけて、きっといい呉服屋になります。
三木 弦
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――