将来

 息子が、将来、どういう人生を歩むのか、息子が生まれて、大きくなっていく間に、私が、何かを、考えたことはありませんでした。息子の将来は、息子が決める。私が、差し出がましく、口を挟むことではない、と考えていました。それは、自分の人生は、自分で決めるものだ、と考えているからです。というか、考えるまでもなく、自分の人生は、自分で決めるしかない。自分で決めた人生を、自分で、責任を持って、自覚を持って、歩むしかないからです。とは言うものの、呉服屋を継いで欲しい、と思わなかったか、と言うと、やはり、継いで欲しかった。理由は、有るようで、無い。
 息子が、小学校一年生の時、クラスメイトにプロポーズしたそうです。「僕は、大人になったら呉服屋になるんだけれど、僕と結婚してくれる?」。その話を、家内から聞かされた時、ほんの子供の、言い分、とはいえ、うれしかった。将来、呉服屋になる、と決めているのだ、と。その時、そう考えた私も、親馬鹿と言えば、まさに親馬鹿。まだ、小学校一年生の子供の言うことに、大喜びするなんて。しかし、理由も無く、うれしかった。
 その後、そんな話は、まるで出なくて、息子が、自分の将来を、どう考えているのか、何になろうとしているのか、まるで分かりませんでした。というか、息子が、どんな将来を選択しようと、私は、口を挟むつもりはありませんでした。それだけに、高校二年生の時、突然、NHK教育テレビの番組で、「将来、呉服屋になる」、と公言したことには、ビックリ仰天しました。