レッスン

 娘が六歳になるかならないかの頃、元町一番街を歩いていて、「バイオリン教室」、の看板が眼に留まりました。元町一番街の真ん中辺に、「ロッコーマン」というギターショップがあり、そこで「バイオリン教室」をやっている、とのことでした。私は、子供たちに、あれをしろ、これをしろ、と指図した憶えは、ほとんどありませんが、その看板を見たとき、バイオリンを習わせようかな、と考えました。私たち夫婦は、家内がビオラ、私がチェロ、で弦楽器を演奏します。娘がバイオリンを弾くようになったら、親子一緒に合奏が出来る、と考えたのです。
 娘は、すぐ、その気になって、バイオリンを習うようになりました。その三年後には、息子も、バイオリンを習い始めました。二人一緒に、バイオリンを習い始めて、一年後だったでしょうか、阪神・淡路大震災が起きたのです。バイオリンの先生は、池田市にお住まいで、神戸でバイオリン教室をなさっておられたのですが、震災で、レッスンが出来なくなり、やむなく中断しました。
 震災の一年後、私たち夫婦が、立花礼子さん、紀子さん、の姉妹と、弦楽四重奏を始めました。立花礼子さん、紀子さんは、どちらもバイオリン奏者なのです。妹の紀子さんは、沢山の生徒さんにバイオリンを教えておられました。一端は、途絶えた、子供たちのバイオリン・レッスンだったのですが、娘は、自分で、直接、立花紀子さんに、「バイオリンを教えてください」とお願いしました。すると、息子は、お姉さんの立花礼子さんに、「僕に、バイオリンを教えてください」と、やはり、自分でお願いしました。立花礼子さん、紀子さん、という素晴しい先生にめぐり会えて、子供たちのバイオリン・レッスンが再開したのです。