第二十六話
 古い話をしたがるのは老人の悪癖だそうですが、それでもやっぱり、「昔はよう売れた。右から左へ飛ぶように売れた」と若いもんに、ついつい言ってしまうのです。

ツクル・ツカウ・ツナグ
 ついこの間のことなのに、なんであんなに売れたのか、我ながら不思議で仕方がない。「商道(あきないみち)」で私が書き続けてきたのは、なぜあんなに売れたのに、なぜこんなに売れなくなったのか、ということの私なりの分析です。一言で言ってしまうと、価値観の大転換が起きた。「所有価値」が激減して、かつての神通力を失ってしまったのです。「モノ」を持つことそのものに魅力が無くなった。であるなら私たち商売人に、生き残る道は閉ざされているのでしょうか。
 確かに「モノ」を持つことそのものに魅力を感じなくなった日本人は沢山いらっしゃる。しかし「モノ」そのものの魅力が無くなったわけではありません。空にまたたく星の数ほど、浜の真砂の数ほど、人の心を捉えて離さない「モノ」は、まだまだこの世の中に有る。私なんか自慢じゃないですが、自慢にもならないですが、物欲の権化です。欲しくてたまらない「モノ」が一杯ある。生まれてこの方の金欠病という不治の病で、なかなか欲しい「モノ」が買えないのですが、それでもいつか買いたい「モノ」は一杯ある。
 一体全体、「モノ」の魅力、魔力は何なのでしょう。私の場合、「モノ」を創り出した人の思いが伝わってくるから。「モノ」を介して、「モノ」を「ツクル」人の「ココロ」が、「モノ」を「ツカウ」私の「ココロ」と共鳴するのです。「モノ」を介して、「モノ」を「ツクル」人の「ココロ」と、「モノ」を「ツカウ」私の「ココロ」が共鳴し、共有できたとき、得も言えぬ満足感が得られるのです。その瞬間ほど幸福を感じる時間はない。であるなら「商道(あきないみち)」は、「ツクル」人と、「ツカウ」人とを、「ツナグ」人になることだ。「作る人と使う人を繋ぐ人」になれたら、これからも商売が出来るのではないでしょうか。