第二十話
 バブル経済の真っ只中は、みんなドンちゃん騒ぎで浮かれていた。正気を失って、狂気の沙汰だった。呆気なくバブル経済が崩壊した後には、寒々と荒廃した日本が残った。まるで廃墟と化した敗戦直後のように。

バブル経済
 戦後の成果をすべてご破算にしたバブル経済は、なぜ発生したのか、一体なんであったのか。一言でいうと、「モノ」を持つことだけを目的にした、資産所有が最優先された結果でありました。土地であれ、株であれ、絵画であれ、投機の対象となった「モノ」は、唯に所有し、より多く所有することだけが目的となったのです。土地は、本来、住むためであり、商売するためであるはずなのに。株は、本来、会社の活動を支援するためなのに。絵画は、本来、鑑賞するためなのに、唯に所有し、より多く所有することだけが目的となったのです。本来の目的であるはずの使用し、活用するためではなく。
 バブル経済は、起こるべくして起こりました。戦後、日本人は、資産を、使用することよりも、所有することに価値を求めたからです。敗戦で、すべての「モノ」を失い、「モノ」を持たないことの悲惨さを痛感した日本人が、「モノ」を持つことに拘泥したのは故なきことではありません。ひたすらに「モノ」を持つことにあくせくして、「モノ」を使うことまで思いが到らなかったのです。「モノ」を持つことだけで満足して、「モノ」を使う心の余裕が無かったのです。
 しかし、ある日突然、バブル経済が崩壊し、株が暴落し、土地が暴落し、絵画が暴落し、所有価値が激減して、日本人は、豁然と「モノ」は所有することに価値があるのではなく、使用して初めて価値が生まれることに気付いたのです。バブル経済の崩壊とは、すなわち、実体のない所有価値、使用価値に価値実現しない所有価値の崩壊に他ならなかったのです。