第四話
出会い

 横山喜八郎さんは、日展をはじめ日本現代工芸美術展などに蝋で描いた作品を精力的に発表されている染色家でした。父横山喜一郎さんは工芸染色、姉横山登士子さんは油絵と墨象の創作活動をなさるという恵まれた芸術的環境のなかで、ご自身も油絵を竹中三郎氏、染色を横山喜一郎氏に師事され、皆川月華氏に指導を受けるなど研鑽をつまれました。日本現代工芸美術展で現代工芸大賞を受賞されたのをはじめ、日展で大賞を受賞されるなど、ローケツ染という言葉からイメージされる従来の表現を越えた新しい境地を切り開いてこられた大家でした。京都北山の閑静な地にアトリエを構える横山喜八郎さんを初めてお訪ねしたのは1993年2月、市内中心部に比べると一段と寒い北山のアトリエの庭にはまだ雪が残っていました。
 横山喜八郎さんに工房を案内して頂きながらローケツ染の制作工程を説明して頂きました。「技があっても心のこもっていない作品はつまらない。大切なのは感動する心です。感受性の豊かな人は苦しみも多いですが、美しいものに出会った喜びも人一倍大きいのです」とおっしゃられた言葉がとても印象的でした。対象に触れて心の中に立ち上がる「心象」こそ横山喜八郎さんの創作の原点にある。現代工芸美術展で大賞をお受けになられた「躍」と題された四曲屏風は、南伊豆でご覧になられた雲の、刻一刻変化してゆく躍動感が圧倒的な色と形で迫ってきました。異郷の風景、花や魚、何気ない日常の事物の内に秘められた抒情を鮮やかに描いた作品を見せて頂き、尽きぬ話題に時を忘れて、玄関を出ると外は真っ暗でした。
 夜道を歩いて地下鉄の北山駅の階段を降りる途中、家内が「横山先生だったらバイオリンの着物や帯を創ってくださるのでは」と言いました。「僕も同じことを考えていた」と答えました。家内は、4歳の時にバイオリンを弾き始め、大学時代、音楽を専攻し、卒業後は音楽の先生になって四六時中、バイオリンを肌身離さず持っていたのが、縁あって私と結婚し、呉服屋になって店では着物を着るようになると、バイオリンから離れるのが寂しい、着物を着ている時もバイオリンを、とバイオリンが描かれた着物や帯がないかと探し始めたのです。ところが探しても探しても見つかりませんでした。だったら誰かに創って貰うしかない。横山喜八郎さんのアトリエを訪問し、その人柄と作品に接して、横山喜八郎さんなら、と家内も私も考えたのです。