第二話 |
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弊店の2階をギャラリーとして活用しようと考えて、そのスペースを「ギャラリー響」と名付けました。「響」を「きょう」と読ませたのは、呉服屋として京呉服の「京(きょう)」であり、呉服が過去の遺産ではなく、「今日(きょう)」現在のファッションであること、そして何より、人と人の心が響き合う「響(きょう)」を大切にしたい、という思いからでした。 1991年12月、「ギャラリー響」で最初に開催した個展は「星野尚 木象嵌の世界」でした。星野尚(ほしのたかし)さんは弊店のお客様の御子息で、スペインのコルドバ美術専門学校に留学、その間に自然木材を材料とする象嵌絵画タラセアと出会い、その暖かみのある画風に魅せられました。留学中に技術を修得された星野尚さんは、タラセアの技法に〈焼く〉などの手法を加えて独自の作風を創り出されたのです。帰国後、創作活動を続けられる中で、星野尚さんは、タラセアと出会い、学んだスペインで、是非、自作を発表したい、という思いを抱かれ、バルセロナで開催されるオリンピックに合わせてスペインでの個展開催を計画されました。私が星野尚さんに「ギャラリー響」で個展を開催して頂けないかとお願いしたのは丁度その時だったのです。私の申し出に星野尚さんは、スペインでの個展開催の為に制作されていた作品を「ギャラリー響」で発表することを快諾してくださいました。「ギャラリー響」の最初の個展となった「星野尚 木象嵌の世界」は、神戸新聞に紹介されたこともあって大きな反響を頂いたのです。 思いがけず幸先の良いスタートを切ることが出来た「ギャラリー響」ですが、引き続き漆芸家の伊藤高志さん、陶芸家の大塚佳岳さんから会場使用の申し出を頂き、「漆の器 自在工房 伊藤高志 作品展」、「無量光寺窯 大塚佳岳 作品展」を開催しました。呉服販売しか手掛けたことがなかった私は、「丸太や」店内で開催する以上、開催内容を最低限、知っておく必要があると考え、事前に制作者のお話を聞かせて頂き、参考書を読んだり、工房を見学させて頂き、伝統工芸の奥深さを知る機縁を頂くことが出来たことは「ギャラリー響」を始めたことの何よりの収穫でした。 それまで呉服問屋から仕入れた商品を販売することしかしたことのなかった私は、工芸作家の方々が創作された作品を拝見し、作品の背後に作者がおられるという当たり前と言えば当たり前のことに気付かされました。作品は制作者が創り出したもの、制作者の思いや技から生み出されたものだということに。翻って今まで私が扱っていた商品も、実は既に形あるもの「有形」ではなく、未だ形ないもの「無形」から職人と呼ばれる人たちが創り出したもの、無から有を生み出す創造的行為によって現出したことに気付いたのです。 |