第一話
自己紹介

 私、三木久雄は、1973年6月に家業である「株式会社 丸太や」に入社し、以来、今日に至るまで50有余年、呉服業に携わってまいりました。弊店は、株式会社とは名ばかりの個人商店ですが、創業120年を超える老舗です。しかし呉服屋になってこの方、呉服業界の衰退にかてて加えて、オイルショック、バブル経済の崩壊、阪神淡路大震災、金融不安、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍、と次から次に危機が押し寄せ、心の休まる間もなく過ごして参りましたが、お客様、取引先をはじめ沢山の方々のご支援を頂き、今日まで大過無く商売を続けることが出来ましたことは、あらためて関係各位に対しまして深く御礼を申し上げますとともに感謝の気持ちで一杯です。
 私が「丸太や」の経営に携わったのは1983年からでした。日本経済が石油ショックから立ち直り高度成長への軌道に乗り始めた頃で、弊店も徐々に売り上げを伸ばすことが出来ました。ところが1991年、突然にバブル経済が破綻し、弊店も一挙に売り上げが激減したのです。まさに最大の経営危機でした。この危機をどう乗り越えたらいいのか、思案に思案を重ねた私は、それまでの商売の遣り方を、大きく転換することを決めたのです。
 呉服屋の商売の主流は訪問配売でした。私も、呉服屋になってから、商品を風呂敷に包んでお得意先回りをするのが日課でしたが次第にお客様がお留守のことが増えたのです。普段、家の奥にいらっしゃった奥様が、仕事や趣味で外出されることが多くなった。はたしてこれからも外商中心の商売が続けられるだろうか、と疑問に思うようになりました。その矢先、バブル経済崩壊で売り上げが激減したのです。弊店は神戸元町商店街の東入口に在って交差点を渡ると大丸百貨店が眼の前に在る、という好立地に店舗を構えています。お客様のお宅に伺うのではなく、お客様に店に来て頂くことが出来ないか、と考えたのです。しかし呉服という商材は趣味嗜好品で、お客様が足繁く店に買い物に来て頂ける生活必需品でも消耗品でもありません。ではどうしたらお客様に来店して頂けるのか。
 丁度その頃、お客様から水墨画の展覧会の御案内をいただきました。趣味で習っておられる水墨画の門下生の発表会でした。会場で拝見したお客様の作品は趣味の域を遥かに超えた素晴しい出来映えでした。感動し圧倒された私は、きっと弊店のお客様の中には他にも、想像を絶するような才能を秘めた方が沢山いらっしゃるのではないかと思ったのです。その創り出される作品はお客様の人間性の発露であり、商売が唯に商品の売り買いではなく、人と人との出会い、心と心の触れ合いのなかでこそ成り立つのであるなら、店舗は、人と人の出会いの場、心と心の触れ合いの場ではないか、と考えたのです。平素は商品の展示場である弊店の2階を、人と人、心と心の出会いの場にしよう、と決めました。