日本は、有史以来、今日に至るまで「タテ社会」でした。日本が「タテ社会」であることは、風土的に、歴史的に日本の社会形態として最も適合したからです。弥生時代に大陸から水稲耕作が伝播し、高温多湿な気候風土、勤勉実直な国民性に合致して、「豊蘆原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と美称される稲作農耕民族国家となったのです。水稲耕作に重要な共同作業にとって、「タテ社会」は極めて合理的でした。強力な指導者の下で一致団結しやすい「タテ社会」は集団の秩序を維持し、成果を最大にすることに極めて有効だったのです。
「タテ社会」が日本の歴史上で最も効果を発揮した直近の顕著な事例は、この200年の間に日本の歴史上、空前の大改革を二度成し遂げたことです。最初の大改革は明治維新です。当時、世界中が欧米列強の植民地化の危機にある中で、唯一、日本だけが明治維新によって近代国家への変貌を成し遂げ、植民地化をまぬがれて欧米列強に比する国家建設に成功できたのです。二度目の大改革は、第二次世界大戦の敗北後、戦後復興に向けて、平和国家、民主主義国家、経済大国を目指して国民一丸となって奮闘した結果、世界に冠たる経済大国を実現したのです。 |