なぜ「タテ社会」の日本が、明治維新、戦後復興の大改革を成し遂げることが出来たのでしょう。それは「タテ社会」に必然的な負の側面、人事の停滞を克服できたからです。江戸幕藩体制の武家支配を断ち切った明治維新、戦犯の公職追放、華族廃止、軍部解散、財閥解体、農地改革によって人事を刷新した戦後復興、その原動力は危機意識でした。帝国列強の植民地化への危機感、敗戦で灰燼と化した国土への危機感、すべての日本人が危機意識を共有したからこそ、革命的に人事を刷新できたのです。しかし、戦前も、戦後も、成功体験に胡坐をかいて、人事が停滞した結果、社会の停滞を招き、戦前は、第二次世界大戦の破局に突入し、戦後は、経済の凋落に歯止めが掛けられないのです。
 「タテ社会」の負の側面を克服することは、国家的、国民的に喫緊(きっきん)の課題です。「タテ社会」は集団の秩序、統制を維持するのには有効な反面、個人の自由、主体性を確保することを困難にしがちです。であるなら、集団の個々の構成員が自立することが重要なのです。拙論の最後に、私の想いをお伝えします。

 私は、「私」を大切にすることが大事だと考えています。「私」の五感、眼、耳、口、鼻、膚、が感じることを大切にしたい。「私」の眼で視て、耳で聴いて、口で味わって、鼻で嗅いで、膚で触れて感じることを何より大切にしたい。「私」の五感で感じて、考えたことを、先入観に捉(とら)われないで、情報に惑わされないで、「私」の思いを大切にして、「私」の生き方を決めたいのです。そんな「私」が、「私」以外の誰かと、語り合い、分かり合うことが出来たら、「人と人の間」がそんな風に繋がって、結び付く、そんな人間関係が出来たら、きっと「タテ社会」の負の側面を克服することが出来るのでは、と考えるのです。