情報の時代
新聞
 私は、55年前、早稲田大学に入学し下宿生活を始めた時、毎日新聞を購読しました。自宅は朝日新聞だったのですが。その後、どれぐらい経ってからだったのかは忘れましたが、購読を止めました。叔父は、新聞を数誌、必ず読む人だったので、なぜ新聞を読まなくなったのか、と詰問されたのです。簡単に答えられなかったので黙っていたら、「新聞は読まないと駄目だ」と叱責されました。
 その頃、私は、他者の痛みに寄り添えない自分が認められなかったのです。自分自身は、僅かな擦り傷でも痛いのに、他人が目の前で大傷を負っていても平気でいられることが辛かったのです。新聞の第一面には、その日の重大ニュースが報道される。大事故、とか、大災害、とか。死者が何人、重軽傷者が何人。本人にとっては耐えがたい状況なのに、平然と、単に数字としてしか読めない自分が耐え難かった。だから新聞の購読を止めたのです。
テレビ
 2001年9月11日。その日、私が神戸元町商店街で始めた「神戸元町ミュージックウィーク」のオープニングパーティーが、神戸風月堂地下ホールで開かれました。私の夢が叶って始めた音楽祭でしたが、批判も多々頂いて開催には苦労していたので、オープニングパーティーに神戸市長を始め関係各位のご参加を頂き、成功裏に終了し、ほっと一息ついて自宅に戻って、いつもその時間に見ているNHKのニュース9を開けたのです。すると、スタジオが異様な雰囲気に包まれていた。その直前に世界貿易センタービルに旅客機が激突したというニュース。あまりに突然のことで茫然としていると、もう一機、世界貿易センタービルに激突して、ビルが瓦解している様子が目の前で現出したのです。まるで映画か、ドラマの特撮のように。「神戸元町ミュージックウィーク」のオープニングパーティーが無事終了した安堵感はいっぺんで吹き飛びました。
 衝撃の映像でした。その後、国際テロ組織アルカイダの犯行だと断定され、アメリカは、国を挙げて対テロ戦争として、イラクへの攻撃を開始したのです。テロ組織をイラクが背後で支援していて、大量破壊兵器を保持している、という理由でした。
 イラクへのアメリカの軍事行動が開始されると、NHKのニュース9では、連日、軍事行動の進捗状況が報道され、現場の映像とともに軍事専門家が状況を解説していました。アメリカ軍がイラクの拠点を次々に攻撃し、陥落させていく様を私はテレビを見ながら支援していました。そして、アメリカ軍が首都バグダッドに進軍し、フセイン大統領の巨大な像を倒すのを見て、心の中で喝采したのです。
 ところが、日が経って、大量破壊兵器など、全く秘匿されていなかった、とアメリカ政府が発表し、パウエル国務長官は議会で、間違った情報であったと謝罪されたのです。私は、その報道に唖然としました。目の前で、この目で見た衝撃の映像、世界貿易センタービルが、アルカイダのテロ攻撃で旅客機に激突され、3000人もの人が亡くなった、その映像を見た私は、報復としてイラクへの軍事行動を支持したし、秘匿されている大量破壊兵器が、さらなるテロ活動に使用される危険を阻止するためにもフセイン体制を打倒しなければならないと賛同したのです。しかし、その重大な根拠が、実は、事実では無かったのだと知って、毎日、手に汗を握るように対イラク戦争をテレビの映像で見ていた私は、以後、一切、テレビを見ることを止めました。
 なぜ私が、テレビを見ることを止めたのか、それはテレビの映像が与える影響が、余りに大きいからです。人間の五感が把握する領域は極めて限られています。テレビの映像は生身の人間の五感の領域を遥かに超えて働きかけるのです。五感が把握する情報は、自分の眼で、自分の耳で、自分の膚で、自分の鼻で、自分の舌で感じ取る実感です。しかしテレビの映像は、実像のようで実像ではないのです、虚像とまでは言えないけれど。なぜならテレビの映像は、撮影者、編集者、放送者が、ある意図をもって選択した映像だからです。その意図の善悪、正邪、良否は兎も角も、意図をもって撮影され、編集され、放送されているのです。アルカイダによる世界貿易センタービルの攻撃に始まって、対イラク戦争をテレビの映像で見続けた私の結論です。