投資の時代 |
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バブル |
昭和も終わりに近づいた頃、日本経済は絶頂期にありました。右肩上がりの高度成長の真っ只中で、「ジャパン アズ ナンバーワン」と持て囃され、日本人は有頂天になっていました。大企業だけではなく、中小、零細に至るまで過去最高の売り上げ、利益を計上していたのです。しかし多大な利益は、多額の納税額になるので、企業も個人も、節税対策にいそしんだのですが、推奨されたのが投資です。株も土地も、時価と課税評価額に差があって、株や土地の購入が節税になるとされたのです。金融機関も、株や土地を担保に融資を重ね、見る見るうちの株も土地も爆上がりになり、1989年末の東京株式市場の大納会では38915円の最高値を記録したのです。ところが年が明けた途端、バブル経済が崩壊し、一挙に、株も土地も爆下がりして、株や土地を担保に過剰融資を重ねていた金融機関が倒産の危機に陥ったのです。 |
教訓 |
なぜバブル経済が異常発生したのか。私は、「ものづくり」をないがしろにしたからだ、と考えます。日本は、第二次世界大戦の敗北で壊滅的な打撃を受けました。戦後、敗北の反省に立ち、平和産業の育成に注力し、全国民が一致団結して「ものづくり大国」に成長できました。ところが高度成長を遂げた結果、企業には巨額の余剰資金が蓄積され、その資金を企業は投資に注入し、さらなる利益拡大を図(はか)ると本業の「ものづくり」より遥かに巨大な利益を生んだのです。企業が地道にコツコツ「ものづくり」に励む努力を怠って、容易に、安易に利益が生まれる投資に走った結果、バブル経済が発生し、瓦解したのです。 バブル経済崩壊は第二次大戦の敗北に匹敵する壊滅的打撃を日本経済に与えました。「失われた20年」が今や「失われた30年」と言われるまでの後遺症を今も残しているのです。バブル経済崩壊の教訓は、「もづくり」を疎(おろそか)かにしてはならない、という一言に尽きると私は考えます。「ものづくり」、すなわち生産者が「生産価値」を創出することがすべての始まりだからです。「生産価値」が「商品価値」となり、さらに「所有価値」となって、最後に「使用価値」として「価値実現」するという「価値創出」の循環が順調に機能してこそ、社会の活力は生まれるからです。 |
資産運用 |
バブル経済崩壊後、経済の回復が遅々として進まないなかで、改革、刷新の声が声高に叫ばれ、円高、デフレが経済再生の足枷(あしかせ)になっている、という認識が広がり、成長戦略という名の経済政策が断行されました。かつてない「ゼロ金利」政策で銀行の預貯金の金利が雀の涙になり、資金を大量に所有する企業、個人は資金運用に出精し、新たな投資先を確保しようとしたのです。国もまた国民に、老後資金を確保するための資産運用として投資を推奨するまでになりました。 かつての「一億総中流」は遥か彼方になって、今や、「一億総投資」の時代に激変してしまったのですが、しかし市井(しせい)の一呉服屋として、「投資の時代」の到来は、商売あがったり、なのです。なぜなら、貨幣は本来「交換価値」しかないからです。貨幣持ってモノを買い、貨幣持ってモノを売るためにあるのです。投資、資産運用とは、貨幣を貨幣に変えて貨幣を増やそうとする行為で、「交換価値」を「交換価値」に変えるだけで「価値創出」にはならないのです。「金は天下の回りもの」となってこそ、社会の活力となるのです。 |
趣味 |
私は甲斐性のない呉服屋なので、店を大きくすることも、売り上げを伸ばすこともできませんでしたが、息子に店を受け継がせることだけはできました。そういうわけで生涯賃金も微々たるものだったので投資などは縁遠い話でしたが、趣味の音楽には身の程もわきまえずお金をつぎこんで、レコードやオーディオを購入してきました。お陰様で音楽を通して色々な方とのご縁を頂き、オーケストラ活動を続ける中で家内と出会い結婚しました。 家内は子供の頃からバイオリンを弾き続けてきたのですが、私と結婚したあと、一緒に店を切り盛りしてくれたおかげで、音楽をモチーフにしたオリジナル商品「丸太やオリジナルコレクション コンサート」が生まれ、阪神淡路大震災やコロナ禍を乗り越えることが出来たのです。 今、思い返すと、趣味の音楽にお金をつぎ込んだことは、私の生涯ただ一つの投資ではなかったか。音楽を趣味にして、仲間と一緒に楽しんできたことが、どれほど私の人生を豊かにしてくれたことでしょう。商売を続けることに、どれほど力になったことでしょう。趣味の音楽に投資してきたことは、着実に、確実に、効果を発揮したのです。そんな私ですから、投資の対象として自信をもって推奨させていただくのは、趣味なのです。 |