虚偽の時代
嘘つき
 子供の頃、「嘘つきは泥棒の始まり」とキツク教えられました。今、日本の社会で、公然と、平然と嘘が罷り通って、誰ひとり咎める人がいない状況を目の当たりにするにつけ、「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉を思い浮かべるのですが、あらためて今、「嘘つきは泥棒の始まり」という言葉が、深い真実を突いていることに驚かされます。嘘をつくことは、他者の金品を強奪する行為であることに思い至ったからです。
 なぜ現下の日本が「停滞の時代」に陥って抜け出せないのか。それは「虚偽の時代」だからです。これほど虚偽に溢れた時代がかつてあっただろうか。虚偽の発言、虚偽の申請、虚偽の報告、虚偽の表示、日々、目にするニュースに暗澹とした気分になるのです。例えば、商品に虚偽の表示がなされていたら、不当に高い値段で買わされる。コロナ禍で虚偽の申請がなされ、法外な給付金が受けとられた。自動車の検査で虚偽の報告がなされ、ユーザーが愛車の安全に不安を持つ。

正直者
 虚偽が横行する社会で、何が起きるのか。「正直者が馬鹿を見る」のです。正しい値段が表示されていたら、ナケナシノの虎の子を余分に払わなくて済んで、そのお金で別の買い物が出来たのに、という不満。コロナ禍で国民みんなが大変な状況に陥っている中で、貴重な税金が不届き者に過分に渡された、という不快感。自動車メーカーを信用して乗り続けていた愛車が、事故の危険性があった、と分かった不安。
 一番の問題は、虚偽によって、不当にお金が奪われることです。投資詐欺、振り込め詐欺、などなど詐欺による金品強奪は枚挙に暇(いとま)はありませんが、詐欺まがい商法も横行している。虚偽によって個人の、社会のお金が不当に奪われ、そのお金が本来の使い方をされていたら生産、流通、消費の各段階で、「価値創出」に寄与する原資となった可能性を秘めていたのに、と思うと極めて残念なのです。

王道
 「失われた20年」と言われたのが、はや、「失われた30年」と言われ続けて、すでに数年が経ちました。「停滞の時代」を乗り越えることが日本の再生に不可欠なのです。そのためには先ず「虚偽の時代」を乗り切らねばなりません。「虚偽の時代」を、どう乗り切るのか。虚偽が嘘ならば、嘘を見抜くことです。
 恥ずかしい話ですが、私は過去に三度、詐欺に引っかかりました。すぐにヤラレタと気付いたので浅い傷で済みましたが。詐欺に引っかかった、と気付いた時、なぜ引っかかったのかを考えたら、私の願望、欲望、不安を突かれた。こんな風に詐欺に引っかかるのだ、と学習しました。
 今、日本が、「虚偽の時代」であるのは、嘘に騙される、詐欺に引っかかる人が沢山いるからです。嘘に騙されないようにする、詐欺に引っかからないようにすることが何より肝要なのです。そのためには自分の願望、欲望、不安を安直に解決しようとしないで、地道にコツコツやるしかない。人生を歩むのに、近道や、抜け道はない。王道を歩むしかない。前に進むためには、王道を歩むしかないのです。「千里の道も一歩から」。