はじめに |
その昔、何で読んだのかはスッカリ忘れたのですが、世界の歴史を通観して、すべての文明の興亡が必然であったことを論じていたのですが、その頃、日本は経済大国として世界に冠たる地位を占めていて、はたして日本も衰退期を迎えるのだろうか、と半信半疑だったのが、これほど急速に衰亡するとは俄かには信じがたいのです。今という時代を一言で表現するなら「停滞の時代」でしょう。なぜ日本が、かつての絶頂期から「停滞の時代」に陥って、今だに復活の糸口すら見つけかねているのかを私なりに考えてみたいと思うのです。 |
停滞の時代 |
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私は一介の呉服屋なので天下国家を論ずることなど僭越も甚だしいし、早稲田大学文学部で日本史を多少、勉強しましたが、政治経済については無知蒙昧で、日本社会が現在、どういう状況にあるのかについて思考をめぐらす知識も経験も皆無なのですが、唯、50年来、神戸元町商店街で店舗を構え商売を営んできた人間として、現下の商況は余りに厳しいのです。なぜこれほど商売が厳しいのか。その理由についは真剣に考え続けてきました。答えは一つ。今、日本の社会は「停滞の時代」の真っただ中なのだ。なぜ今、日本の社会は停滞しているのか。その最大の要因は「価値創出」の希薄化にある、というのが私の出した結論です。 私は、かつて神戸元町商店街が発刊する「こうべ元町新聞」に商売を歴史的に考察するという論考を「商鑑(あきないかがみ)」として発表しました。なぜ「商鑑」を書いたかは、私自身、商売の社会的有用性について、歴史的に検証したかったからです。私が、最後にたどり着いた言葉は、「価値」でした。「価値」を生み出す行為が、社会に有益なのだ。 |
価値 |
「価値」は、どのように生み出されるか。先ず、生産者が「価値」を生み出します。人間が生きていく上で必要不可欠な衣食住の産品、衣服、食材、住居の生産は社会にとって極めて有益だから「価値」がある。さらに衣食住に派生する産品、道具、素材、等々。生産者が創り出す産品に「価値」があることは誰の眼にも一目瞭然です。着るもが無ければ寒さをしのげない、食べるものが無ければ飢え死にする、住むところが無ければ雨風にさらされる。生産者が創出する「価値」は「生産価値」なのです。 しかし生産者が創出する「生産価値」は、それを消費者が使用しなければ本来の「価値」は生まれないのです。「衣」ならば着用しなければ、「食」ならば摂取しなければ、「住」ならば居住しなければ。そのためには、生産者が創出する産品が消費者の手に渡らなければならない。流通しなければならないのです。流通業が社会にとって必要不可欠な理由です。生産者が生産した産品を流通業者が買い取り、対価として貨幣を支払う。貨幣が保有する「交換価値」を対価として受け取った生産者は、「交換価値」を次なる生産の原資として再生産し、新たな「生産価値」を創出するのです。 |
流通 |
流通業者は生産者の産品を貨幣と交換して在庫として保有し、流通段階を経て商品として消費者に販売することを業としています。生産者から消費者へ、産品を商品として受け渡すのですが、一見すると産品と商品は同じものなので、唯に輸送業に過ぎないと思われがちで、その対価として利益を得ることは不当ではないか、と評価されがちでした。江戸時代の身分秩序が「士農工商」で商売人、すなわち流通業者が最下等に位置づけられたのは故無きことではありません。 しかし商品が消費者に、最も適切な価格、方法で手渡されるためには、消費者の要望に最適に応えなければならないのです。欲しいものが買える、必要なときに買える手立てをとらねばならない。消費者に直接販売する店舗、「店」が、「たな」と読み、「みせ」と読むのは、店舗が商品を展示する陳列棚を持ち、商品を見やすく見せる場であることを表現しています。そうすることによって、「商品価値」を創出しているのです。 |
価値実現 |
流通業者は、消費者が商品を評価して対価を以て購入した、その対価としての「交換価値」で新たな「商品価値」の創出に取り組みます。消費者は、購入した商品を所有者として一旦は「所有価値」を保有するのですが、しかし買った食材を料理して食さなければ、衣料品は着なければ意味がありません。「所有価値」は、その品物を本来の用途、意図に基づいて使用されなければ意味をなさないのです。 生産者が創出した「生産価値」、流通業者が創出した「商品価値」、金融業者が創出する「交換価値」、それらすべての価値は、消費者が「所有価値」を「使用価値」に実践することで初めて「価値実現」するのです。「生産価値」が「商品価値」に、「商品価値」が「所有価値」に、そして最後に「使用価値」に実現する、その「価値創出」の循環によって、社会の活力が生まれるのです。現代日本社会の陥った停滞の最大要因は「価値創出」の希薄化です。なぜ「価値創出」が脆弱になったのか。その原因をたどるのが本論の趣旨です。 |