| コロナ禍 |
| なぜ、現在、かくも日本のみならず、世界中の国々が、混乱の、混迷の極にあるのか。私は、やはり、2019年の暮れに勃発したコロナ感染症の結果であったと思うのです。人と人が、対面で応接できなくなったことが私たちにとって、いかに耐え難い状況であったのか。どんなに機械が、道具が発達しても、バーチャルコミュニケーションは、リアルコミュニケーションの代わりは出来ない。触れ合うことが、どれほど大切であるかを、私たちは思い知らされたのです。 私は、還暦を過ぎた頃、家内と休日に散歩することを始めました。初めの頃は山歩きの真似事もやってみたのですが、だんだん気楽に公園を散歩するようになりました。時には、神社仏閣を訪ねることもありました。自宅に程近い須磨寺、多井畑厄除天満宮に始まって、神戸市で唯一の国宝建築物である太山寺に行ったのですが、その威容に圧倒されました。国宝に指定される建築物は別格だと感動し、その後、加古川市の鶴林寺、小野市の浄土寺、加西市の一乗寺、加東市の朝光寺と兵庫県下で国宝に指定されている五つの寺院を巡ったのですが、それぞれに圧巻でした。 コロナ禍が始まった2020年1月に、兵庫県多可町にある北播磨余暇村公園内の「チャッタナの森」という施設に宿泊して、以来、毎月、泊りがけで行くようになりました。その前後、兵庫県内各地の公園、神社仏閣を訪れるようになったのですが、井戸前兵庫県知事が標榜された「兵庫五国」の豊かさを実感したのです。なかでも神社仏閣の荘厳さに心打たれました。信仰心のまるで無かった私ですら、なぜか不思議なほど心が落ち着くのです。どの神社仏閣も、その由来を尋ねると、何百年、千何百年も昔に遡るのです。 医学の発展した現代ですら、コロナ感染症が世界中で拡大しても、予防薬、治療薬の開発に数年かかって、ようやく沈静化出来たのですが、近代以前であれば、感染症の猛威に為すすべがなかった。唯、祈るしかなかった。その祈りが神社仏閣を創建させた。各地に建立された神社仏閣は、人々の祈りの結晶なのです。コロナ禍とスマートフォンによってもたらされた、街の喧騒、狂騒の渦中にあって、人々の心は病んだ。今、私たちに求められているのは、心の落ち着きを取り戻す時間と空間ではないか、と思うのです。 |
| おわりに |
| 以上、偏固(へんこ)な年寄りの世迷い事(よまよいごと)と聞き流して頂いて結構ですが、もし貴方にも思い当たる節があれば心に留めて頂ければ嬉しいです。現下の常軌を逸した状態を放置すれば、早晩(おそかれはやかれ)日本は滅ぶ、と私は、心底、危惧するのです。 |