フィッシングメール
 パソコンを開いて、一日に何度となく、何十回となくメールをチェックするのが日課ですが、今や、そのほとんどがフィッシングメールであるのは心底ウンザリします。初めてフィッシングメールを見たのは5年前ごろだったか、丁度、コロナ禍が始まった頃だったと記憶するのですが、Amazonを騙(かた)るメールでした。私は以前、何度かAmazonで買い物をしたことがあって、しかし、その数年前からは全くAmazonで買い物をしなくなっていたので騙されなかったのですが、度々来るので気持ち悪いし不愉快でした。
 しかし今や夥(おびただ)しいフィッシングメールの山で、私自身は引っかかる心配は絶無ですが、これだけ凄(すさ)まじいフィッシングメールを見ると、きっと騙される人もおられるのだろうと暗澹とした気持ちに落ち込むのです。唯に他人の金品を強奪して金儲けをしようという不届きの輩の所業ですが、酷(ひど)い話だ、では済まない。日本の社会が、ドンドン悪化し劣化していることを可視化されているようで、深刻極まりない話なのです。
 フィッシングメールは単純に詐欺です。フィッシングメールに限らず今や日本の社会で詐欺及び詐欺まがい行為が日常、常態化しています。遥か昔から「他人(ひと)を見たら泥棒と思え」と言い伝えられているとおり、泥棒は他者の金品を腕づくで奪い取る所業であるのに比して、詐欺は悪知恵で他者の金品を強奪する悪行なので、今や「他人(ひと)のやることは詐欺だと思え」なのです。
 問題は、なぜこれほどに詐欺が横行するのか。詐欺は他者を騙す行為ですから、人を騙すことに罪悪感、痛痒感を持たない人間が激増していることに他なりません。なぜそうなってしまったのか。私は、騙す人間が、騙された人間への、最低限の想像力が働かなくなったからだと思います。騙された人間が、騙されたことへ、騙した人間へ、どういう思いを抱くのか、ということへの。