2025年9月30日 |
ゆるやかなナショナリズム |
| 私が呉服屋になって此の方、男女を問わず街中で着物姿を見かけることはほとんどありませんでした。弊店だけでも沢山の着物をお買い求めいただいていたのに、大半は「箪笥の肥やし」、「きもの(着物)」ではなく「おきもの(置物)」になってしまっていたのです。ところが何時(いつ)の頃からか、街中で着物姿の女性、男性を見かけるようになったのです。さらに何時(いつ)の頃からか、偶々(たまたま)ではなく、度々(たびたび)見かけるようになったのです。性別を問わず、年齢を問わず、キモノをファッションとして楽しまれる方が増えたのです。激増した、と言っても言い過ぎではないぐらい。私が呉服屋になった五十年前はおろか、ニ十年前、十年前と比べても、まさに隔世の感があります。 呉服屋である私にとっては、願ったり叶ったりの夢のような話なのですが、呉服屋である私にとっては、問題は、何故そうなったのか、何が変わったのか、なのです。強面(こわもて)の言い方をするなら、愛国心の目覚め、日本人としての自覚、になるのかもしれませんが、言われた方がビックリ仰天されるでしょう。私は「ゆるやかなナショナリズム」と名付けたいのですが。 太平洋戦争の敗北で、日本は、日本人は、世界に冠たる大日本帝国、悠久無辺の大和魂が木端微塵(こっぱみじん)に打ち砕かれて自信喪失に陥り、戦勝国アメリカが黄金の国に輝いて見えたのです。戦前の反動で日本古来の伝統、習慣が価値を喪失し、アメリカの生活、文化が一挙に評価されたのです。子供の頃、テレビの番組は、アニメの「ポパイ」「トムとジェリー」、ホームドラマの「奥さまは魔女」「パパは何でも知っている」、西部劇の「ローハイド」、戦争劇の「コンバット」、探偵劇の「ハワイアン・アイ」「サンセット77」、音楽ショーの「アンディー・ウイリアムス・ショー」などなど、アメリカ制作の映像が圧倒的で、私を含めて当時の日本人はテレビを見てアメリカの生活文化に憧れたのです。 しかし焦土と化した敗北の惨状から、日本人は国民一丸となって戦後復興に邁進し、私が生まれた1950年頃から急速に国力を回復させ、日本経済を成長軌道に乗せることに成功したのです。奇跡の復活で経済大国になった日本に、私たち日本人は自信を取り戻すことが出来たのですが、次第に自信過剰に陥りバブル経済を惹起させてしまったのです。バブル経済崩壊後の不況を未だに克服できないまま「失われた30年」が過ぎ、私たち日本人は、今、アジア諸国の猛迫によって経済的優位が奪われ、実質所得が増えない現状に、日本の、日本人の存在価値を再度見つめなおさねばならなくなりました。「ゆるやかなナショナリズム」が芽生えたのです。 |
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2025年9月20日 |
新着情報 |
| 「三久庵」ホームページに新着情報を掲載いたしました。 一件は「趣味の話・散歩」の「お気に入り散歩スポット」に写真を添付いたしました。2020年1月、あの恐るべきコロナ感染症が日本国内でも感染拡大し始めた頃、兵庫県多可町の北播磨余暇村公園にある「チャッタナの森」という宿泊施設に行くことにしました。古希を迎えて、月に一度、ゆっくり泊りがけで滞在したいと考えたのですが、初めて訪れた「チャッタナの森」は、とても気持ちの良い施設で、マネージャーの方も親切で「今晩は新月ですから、きっと星が綺麗ですよ」と教えて下さったのです。夜空はまさしく満天の星、街中では絶対見ることのできない星のキラメキに感動しました。「チャッタナの森」がいたく気に入って、それから毎月、訪れることになったのですが、その前後、近隣の公園、神社仏閣を訪れて散歩を楽しみながら、目に留まった風景を写真に撮り続けました。 しかし2024年7月を最後に、お泊り会を止めました。気力、体力、金力の限界を感じたからです。4年7ヶ月の間、言葉に尽くせない時間と空間を享受することが出来たのは望外の喜びでしたが、かけがえのない想い出を残したい、と「三久庵」ホームページに「お気に入り散歩スポット」をケイ・アイ・シーに作成していただきました。完成した「お気に入り散歩スポット」は文字だけのページだったのですが、制作して下さった佐藤勝昭さんから「折角ですから写真を入れませんか」と破格のご提案を頂いたのです。写真は「出会いの記憶」。「お気に入り散歩スポット」の写真は、幾つもの奇跡のような出会いを思い出させてくれるのです。 もう一件は「現代社会論」に「問題の本質」を掲載いたしました。誹謗中傷、罵詈雑言、虚偽情報の溢れかえるネット空間に、私なりに一石を投じたいという思いで書きました。じっくり腰を落ち着けて考えてみませんか、というメッセージです。 |
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2025年9月10日 |
共同幻想 |
| 私が「丸太や」に入社したのは1973年でした。その頃、それなりに呉服商品は売れていました。なかでも主力商品はお嬢さんの着物でした。産着に始まって、七五三の祝着、二十歳の振袖、お嫁入りのお仕度。とりわけ「嫁入り道具」は、訪問着、付け下げ、小紋、紬、大島、袋帯、名古屋帯、染帯、コート、羽織、襦袢、喪服一式、等々。文字通り、次から次に、お求めいただきました。販売する呉服屋も、購入されるお客様も、「嫁入り道具」として呉服を揃えることは当たり前だったのです。 ところが、次から次にお買い求めいただいた着物を、着用されているところを拝見することは、ほとんどありませんでした。ほとんどお召しになっておられなかったのです。それでも、「嫁入り道具」を拵(こしら)えることは母親としての義務、責任のように受け止めて頂いていたのです。ある時、お客様は私に「娘への財産分けです」と仰いました。しかし次第にお客様の意識が変わっていかれたのです。着ない「着物」を「嫁入り道具」に持たせる意味がないと考えるようになられたのです。「世間の常識」が、「着物」を着ないという事実を前にして脆(もろ)くも崩れ去ったのです。 私が大学生の頃、吉本隆明の「共同幻想論」が意識の高い学生の間で愛読されていました。友人は「昨日、吉本隆明の家に行ってきた」と自慢しました。私は吉本隆明の本を一冊も読んだことは無かったのですが、「共同幻想論」という書名は印象に残りました。「世間の常識」とは、実は「共同幻想」ではないか。幻想は現実の前に儚(はかな)くも消え去る。「嫁入り支度」の「着物」もまた、本来「着る物」であるはずの「着物」が、着てもらえないという現実を前に価値を喪失したのです。 |
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