共感の場

 阪神淡路大震災が勃発した1995年の10月、神戸元町丸太や2階「ギャラリー響」で始めた「モトマチミュージックウィーク」は「丸太やフレンドリーコンサート」と名称を変えて、2026年10月に第62回目を開催いたしました。1997年10月に神戸元町商店街で始まった「元町ミュージックウィーク」は、2026年10月、第27回目の開催を迎えました。思い起こせば、かくも長き間、開催を継続できたことに万感の想いがあります。「音楽自伝」を書きながら、なぜ「丸太やフレンドリーコンサート」が、「元町ミュージックウィーク」が今日まで開催し続けることが出来たのかを考えると、演奏して下さった人たちをはじめ、沢山の方々に支援を頂けたことに感謝の気持ちで一杯です。 
 しかし、コンサートは、唯に開催すればコンサートになるわけではありません。演奏を聴いて下さるお客様がいらっしゃってこそ、コンサートが開けるのです。そのことに思い至った時、演奏者も主催者も観客も、みんながみんな、音楽を愛しているのだ、音楽を求めておられるのだ、と気づいたのです。なぜ人は音楽を愛するのだろう、音楽を求めるのだろう。きっと人は誰も、生きる喜び、哀しみ、怒り、苦しみを自分ひとりで抱(かか)え持つことが出来ないのだ。他の誰かと、思いの丈を共に分かち合いたいのだ。共に喜び、共に泣き、共に笑いたいのだ。きっとそうだ。音楽は、思いを共有し、共感する場なのだ。
 今、社会は荒(すさ)み果てています。とりわけSNS上での罵詈雑言、誹謗中傷は、これが人間の所業かと疑いたくなるほどです。なぜ醜悪極まりない地獄絵図が眼前に現出するのか。相手が自分と同じ生身の人間であると考えたら絶対出来ないはずです。それが何故出来るのか。想像力の欠如以外の何ものでもありません。私たちは想像力を取り戻さねばなりません。誰も皆、同じ人間であることを認知する共感力を。人間は誰しも生まれながらに共感力を持っているわけではありません。自分のことしか考えない自己中なのです。しかし人生を他者と共に歩むなかで次第に共感力を身に付けるのです。
 「音楽自伝」は最初から最後まで私の思い出を書き綴りました。私は生来、我儘な性格だったので、他人への気配りが苦手で、人づきあいが下手でした。しかし音楽を趣味とするようになって、チェロを弾き始め、オーケストラに入り、カルテットを楽しむようになって、音楽仲間と一緒に良い音楽を求めて、より良いアンサンブルを目指す中で自然と共感力を身に付けることが出来ました。人と人が出会い、心と心が触れ合い、感動を共にすることで誰もが幸福になる音楽は最高の共感の場なのです。人が故もなく憎み合い、傷つけ合う不幸な社会を幸福にする力を音楽は持っている、と私は信じます。