野球少年

 私は、子供の頃、野球少年でした。何歳ごろから野球をするようになったかは、ハッキリと憶えていませんが、小学校二年生の頃、買ってもらったユニフォームを着て、バットを構えた写真が残っています。その頃、既に、相当の野球少年だったのでしょう。小学校三年生の頃は、年がら年中、野球をしていました。同級生の家は、今、思い返すと、どこかの会社の社宅で、庭がチョットしたグラウンドになるぐらい、広くて、毎日、その庭で試合をしていました。
 私は、その頃、巨人軍のファンでした。多分、小学校二年生の時、「栄光の背番号16 川上哲治物語(というタイトルだったと記憶するのですが)」という映画を見て、一変に川上選手の熱狂的なファンになって、それで巨人ファンになったのです。紙に「川上大明神」と書いて、神棚に祭って、「野球が上手くなりますように」と毎日、手を合わせて拝んでいたくらいです。勿論、私のユニフォームの背番号は「16」でした。
 学校から帰ると、すぐに、野球のユニフォームに着替えて、同級生の家に、バットとグラブを持って出かけました。自分で言うのもなんですが、自分で言うぐらいですからイイカゲンですが、結構、上手かったのです。得意技は、「流し打ち」。今も昔も、腕力は無いので、ボールに逆らわず打つのが得意でした。明るいうちは外で、暗くなると家で、練習です。家の中で、守備のグラブ捌き、とか、滑り込み、の練習。今でも、滑り込み、は得意で、いつも、滑り込みセーフ。
 思い返しても、楽しい時代でしたが、一つだけ、残念なことがありました。我が家は、呉服屋だったので、その頃の商家は、盆暮れを除いて、年中無休で、父は、年がら年中、朝早く、家を出て、夜遅く、帰ってくる。同級生でサラリーマンのお父さんは、日曜が休日。休みの日に、息子とキャッチボールをしてくれる。それが、うらやましかった。「僕は、大きくなって、子供が出来たら、息子とキャッチボールをしてやるのだ」、そう心に決めていました。