第十七話
 「蓼食う蟲も好々(すきずき)」と言うけれど、他人の趣味ほど理解を絶したものはありません、などと他人のことは言えない。他人から見たら私の趣味も大概でしょう。

コレクターという人種
 私は、日本の古典文学を原文で読むのが大好きです。面白い、為になる、分かる、見えてくる。私が読んでいるのは岩波書店刊・日本古典文学大系ですが、元町界隈の古本屋で何十冊と買いました。ところが、驚くべきことに、今まで読んだ本で、一冊たりとも読まれた形跡、痕跡が無い!古本なのに、すべて新本なのです。一体全体、これはどういうことだ。当然のことながら、以前の持ち主は、買ったけれど、全然読まなかったということなのでしょう。本を買っても、読まないで置いとくだけを「積読(つんどく)」と呼ぶそうですが、元の持ち主の読書法は、どうも「積読(つんどく)」のようです。
 戦後のある時期まで、日本人は、「モノ」を持つことが大好きでした。本棚には、賑々しく百科全書とか文学全集、応接間の飾り棚には、ジョニ黒とかオールドパー。狭いながらも楽しい我が家には、ピアノ。キモノもそうでした。私が呉服屋になった頃、お客様は次から次にキモノをお求め下さった。ところが、そのキモノをお召しになられた着姿を拝見することはほとんどありませんでした。キモノを買ったけれど、着ないままで箪笥に仕舞われるだけでした。「箪笥の肥やし」として。要するに、本でも、ウィスキーでも、ピアノでも、キモノでも、何でもかんでも、「モノ」は、使うことではなく持つことに意義があったのです。