第十一話
 誰だって、どこか遠くへ行きたい、という気持ちはあるでしょう。しがらみを断ち切って、すべてを投げ捨てて。

おかげまいり
 群集心理は、大衆行動を呼び起こします。日本の歴史上、空前絶後の大衆行動が、江戸時代、間欠泉の如く沸き起こった「おかげまいり」です。「おかげまいり」は「お伊勢参り」とも呼ばれているように、伊勢神宮への参詣ですが、唯の参詣と全く異なって、ほぼ六十年周期で、全国各地から数百万人規模で集団参詣したのです。更に異様なのは、「抜け参り」とも呼ばれたように、ある日突然、奉公人が仕事をほったらかしにして、子供が親に無断で参詣したのです。
 徳川家康による天下統一によって五街道が整備され、庶民も遠隔地への旅行が可能になったとはいえ、移動手段が現在とは比較にならない江戸時代に、全国各地から、数百万人が大挙して伊勢神宮を参詣する「おかげまいり」は、群集心理による熱狂的行動、集団ヒステリーと言わざるをえません。
 「おかげまいり」という集団行動の心理的背景は何だったのでしょう。江戸時代は、それまでの戦乱相次ぐ世の中から、天下泰平の世となり、農業を始めとする生産活動が拡大し、国力、民力、共に増大し、その恩恵は、遍く万民にももたらされたのですが、他方、幕藩体制と呼ばれる、江戸幕府と全国各地の藩による強固な支配体制の下、士農工商の身分秩序は厳格で、庶民の自由は拘束されていたのです。庶民に偏在する、欲求不満、閉塞感が、現実逃避、変身願望をかきたて、「おかげまいり」に駆り立てのでしょう。