私、三木久雄は、1950年1月10日、神戸市須磨区離宮前町で生まれました。家は祖父の代からの呉服屋です。戦前は神戸市兵庫区有馬道に店舗を構えて居住していましたが戦時中の神戸大空襲で焼け出され、戦後、間無しにこの家に住むようになりました。初めてこの家を見た母は「なんと古い家」と思ったそうです。私はこの家で生まれてこのかた大学生の時の下宿生活の4年間を除いてずっとこの家に住み続けていますから、ゆうに築100年は越えているでしょう。阪神淡路大震災が勃発した時、私の家の古さを知っている親類や知人は、きっと倒壊しただろうと心配したそうですが、最初の衝撃で屋根瓦が全部落ちて、屋根が軽くなったお蔭で助かりました。しかし屋根瓦が無くなったので大工さんに修理して頂くまで、雨が降る度に家の中にもブルーシートを敷いていました。
 ある時、家内が「この家を三久庵と名付けたら」と言いました。私の名前、三木久雄から二文字取って付けたのだろうと思ったのですが「さんきゅうあん」という呼び方が「サンキュウあん」と聞こえて、とても気に入りました。私は、これまでの70有余年の人生で、大病を患ったこともなく元気に過ごして来ましたし、家業の呉服屋「丸太や」を潰すことなく息子に代替わりすることも出来ましたし、好きな音楽を存分に楽しんで来ました。気力、体力、能力がさしてあるわけでもないのに、過分な人生を送ることが出来たのは、良いご縁を沢山の方から頂けたお蔭だ、と感謝の気持ちで一杯です。心から「サンキュウ」とお礼を申し上げたいのです。
 「三久庵」と名付けたこのホームページは、これまで私が折に触れて書きとめた拙文を取りまとめて掲載しました。ご一読頂ければ、これに優る喜びはありません。